刺激的 ということ 私信に代えて

やっと、怒濤のようなイヴェントだらけの8月が終わります。夏コミ初売り、大阪イヴェント参加と阪神建築・古本行脚、そして、念願の一軒家への引っ越し。ほとんど本だけの2屯車三回と家具が一回。それを兄弟四人で運ぶという暴挙も終わりました。ネットもつながり、何とか復帰しましたがこれからを考えると、ちょっとゾッとします。ということで、やっと日記を再開できます。
たとえば、長期にわたる作業の疲れから停滞していた意欲が復活するのも、刺激ですが、やっと寝付いた耳元でさんざん羽音を聞かせたあげく貴重な血液を吸い取って、その上猛烈なかゆみさえ残していく、かのそんざいもしげきのひとつです。特に前回のカンデル様の書き込み中の、“水上の音楽や幻想交響曲をしらなかったり”という箇所はそのどちらなのでしょうか。まず、本文を引用します。

「実は、終曲近くで、二つの提琴が弱音器を付けたのですよ。ですから、却って私は、ベルリオの幻想交響楽シンフォニカ・ファンタジアでも聴く心持がしました。たしかあれには、絞首台に上った罪人が地獄に堕ちる――その時の雷鳴を聴かせると云う所に、雹のような椀太鼓の独奏椀太鼓ティンパニの独奏ソロがありましたっけね。そこに私は、算哲博士の声を聴いたような気がしたのです」337p

ここに書かれた光景は、見事に、「幻想交響曲」の印象を現しています。フランスの音楽では希有といっていい、華麗な円舞曲の後に出現する壮麗な地獄落ちの光景です。この文章からなぜ虫太郎がこの曲を知らなかったといえるのか理由がわかりません。もしその理由が、作曲者名が今我々が使っているベルリオーズと書かれていないからだとしたら、その論拠には何の意味もありません。昭和の初め頃にはこの作曲者を「ベルリオ」と呼んでいた証拠があるからです。大正時代に出ているこの作曲者の書簡集の表題には「ベルリオ」という表記が使われているのです。勿論、それを知っていることをひけらかすというのではありません。今自分たちが知っている知識とは少しベクトルの方向が違う知識も存在したのではないかと考える想像力が、古い(といったって、せいぜい百年ほど前に過ぎませんが)時代の作家が残した作品を読み解こうとするには必要だと思うのです。確かに、ヘンデルとバッハを取り違えているかもしれませんが、異国からきた英語もしゃべれない英国王という、特殊な存在だったジョージ一世がその寂しさを慰めるために、母国ドイツから呼んだ作曲家によって創られた「水上の音楽」についての

その色濃く響の高い絵には、その昔テムズ河上に於けるジョージ一世の音楽饗宴が――即ちバッハの、「水楽」初演の夜が髣髴となって来るように、それはまさしく、燃え上らんばかりの幻であり、また眩惑の中にも、静かな追想を求めて止まない力があった。570p

という引用は、その存在を知らずに書けるものなのでしょうか。
中学、高校の教科書で我々が知ることができるよう事柄を一般的には「常識」というのかもしれません。しかし、常識が示す範囲というのは思ったより狭いものです。そこから、世界を広げていくのが、自分たちにあたえられた仕事だと思っているのです。前回の日記ではそのことを申し上げたつもりなのですが、わかっていただけなかったようですので。
カンデル様、書き込みはありがたく拝読いたしました。しかしながら再度の貴殿の書き込みを読み切れる自信と度量は素天堂にはありません。どうか以降の書き込みは無用に願います。勿論この日記に対する反論などがございましたら、なにとぞ、非公開のメール等でお寄せください。コメント欄は公共物なのですから。よろしくお願いします。