異人館巡りin神戸 (2) aug.20.2005

北野という南斜面の街を歩くとコロニアルと言う言葉の本質が浮かんでくる。横浜の山手の異人館と中華街はもう少し複雑な地理関係から、これほどはっきりと使用人と従業員の身分の差をあからさまに示してはいない。もっとも古い外国人居留地である長崎の街が大浦の天主堂を境に、それが露骨に現れているのに似ている。港を見下ろす南面したバルコニーとそれに対向して、低地にひしめくように立ち並ぶ居留地に働く人の街。それが異人街であり、南京街や中華街として今に残っている。勿論「うろこの家」をはじめとする公開している異人館がその典型であることは間違いないのだが、北野の街は非公開、未公開の多くの建物が“現役”の西洋館として使われているのが素晴らしい。一回訪れただけの街について大げさな感想なのかもしれないが、例えば、新神戸から北野坂に到るバス通りにあるある一軒の切妻造りの洋館の破風に、見事な鏝絵が現存するのに眼を瞠った。
偏屈な素天堂は、にわかガイドの絹太氏が気をもむなか、ほとんどの公開異人館に興味を示さなかったのだが、最初の密集地帯をあか抜けない土産物屋を避けるように通り過ぎ、北野天神の前にきたときは実は興奮の真っ最中だったのである。ディープな近代建築ファンの素天堂としては、公開中の半ば展示場のような異人館より、その周辺の環境を実際に歩いていることが愉しかったのである。ちらりほらりとほの見える、街に残る現実のたたずまいに酔いしれていたのだった。
その最初のクライマックスは、ガイドさんの示してくれた観光客ひしめく「風見鶏の家」ではなく、その向かいにひっそりと、だがあからさまな存在感を持つ、あまり趣味のよくない名前の洋館を見たときに始まった。