異人館巡りin神戸 (5) aug.20.2005

いわゆる明治以降に建てられた近代建築が見直されて、ただふるいだけの不便な建物ではないと認められて、その保存修復が唱えられるようになったのが1970年代の半ば。それまではどこの本屋を覗いても、近代建築、ましてや住宅についての資料などほとんど存在していなかった。そんなときに初めてのビジュアル本としてでたのが至文堂刊行の近代の美術シリーズ第20号「明治の洋風建築」であった。それまでの歴史書が官・工・商に重きを置いていたのに対して、住宅内部を写真付きでくわしく紹介したのがこの本だった。今やっと引っ張り出して感慨にふけっているこの本で2階内部まで紹介され最高傑作とうたわれていたのが、この「シュウエケ邸・旧ハンセル邸」だったのだ。そんなことも知らず、何となく匂いにつられてちょっと離れているのに、わざわざいったのだった。
ほとんど同じデザインの塗装だけが違う2軒の家が並び、その右側の家の玄関を入ると、今までの観光っぽいチケット売り場とは違った雰囲気の受付だった。そこでチケットを購入して振り向いた瞬間大ショック。いわゆる「横浜絵」がところかまわず(といっていいだろう)張り巡らされているのだ。その存在は知識として知っていたものの、あの芳幾も芳虎もその現物をこんなに大量に目にすることができるとは、文字通り息もできないくらい感動した。何でも2代目が海外で入手したものだという。実質観覧可能なのは1階のみなのだが、そこに用意された椅子はすべて着席可能だというのもうれしかった。たぶん5時からは、限りはあっても生活空間に戻るであろう、室内は「萌黄の家」とは違った柔らかさが籠もっていた。一帯から少し離れている所為もあったが、見学者も少なく(それはある意味残念なのだが)、ゆったりとその雰囲気を堪能することができた。いかにも“外人さん”ぽいコレクションの展示も愉快だったのだけれど、ちょっとのぞけるプライヴェートな空間が素敵だった。南に面した庭園への通路に別棟でキッチンとランドリーが建てられ、入れはしないが、中を見られてもいいように整理され、私物は最低限しか置かれていなかったが、台所の机にキチンと畳まれた外字新聞と老眼鏡が重ねて置かれているのには、なんだか胸がときめいた。
小さいとはいえ、南面した庭は和洋のいいとこ取りが可愛らしく、パンフレットや広報写真で有名な南正面の景観は、パーフェクトに素晴らしかった。その庭の、裏口近くに庭師小屋があって、それは、勿論スイス・シャレー様式ではなかったけれど、なんとなくうれしかったのである。邸内に入ったとたん「ここに泊まりたい」と叫んだ素天堂であったが、それも叶わず薄くなった後ろ髪を思いっきり引っ張られながらその家を後にしたのだった。その後裏にある非公開のC・A邸を覗くために脇の私道らしい細道を入った瞬間、最後の驚きが。キッチンからの裏口がそこに面しているのだが、私道の幅いっぱいに、御用聞き用なのだとおもうが、軒庇がかけられていたのだった。うーん、これはすごい。