モギャーッ、キャッの美学 「びっくり箱殺人事件」横溝正史 角川文庫ISBN:4041304172

今年のMYSCON全体企画でこの作品を取り上げてもらったが、あんまり昔に読んでいてほとんど内容を覚えていない、というのはあんまりなので、それ以来探していたのだけれど、灯台もと暗し、最近引っ越した近所の古本屋さんで見つけた。この作品を最初に読んだのは多分初出の単行本だった筈だが、今回チェックした「東方社」版ではなかった気がする。実はちょっとしたエピソードとして、素天堂はあの島崎博氏と、電話を含めて何度かお話しした機会があったのだが、その最初の時に、好きな作品の一つにこれをあげて思いっきり退かれた記憶があるのだが、それだけ異色作であったことは間違いない。素天堂は横溝作品にあまり思い入れがなく戦後初期の本格もの何冊かを義務で読んだ以外は、戦前の耽美っぽい作品か、「新青年」とそれ以前の例えば「地下鉄サム」のエピソードを一作書いてしまうような、そんな洒落た彼が好みだったので、角川による「重量級」を中心としたメディアミックス・キャンペーンは、苦々しく思っていたのだった。とはいえそのおかげでこの作品をまた読むことができた訳なのだが。作品内容に関しては、フクさんの「MYSTERIES THE PRIVATE COMFORTABLE」をはじめとしてすでに何人かの的確な紹介があるので繰り返さないが、そのプラスアルファについて少し書いておくことにする。
作品全体をおおうある種の古くささについては、最初に読んだときから感じていたのだが、今回これを読んで、実はこれが作者横溝の周到な計算だったことがわかった。勿論事件は現在(終戦直後の混乱期)に起きているのだけれど、まずこの事件の舞台になった「梟座」について書かれた「二,三十年前の近代設備」という時期が、大正末期から昭和初期であること。登場人物の主要な位置を占める“怪物団”というチームの構成人員が深山幽谷(ルビはないけれども多分みやまゆうこくとでも読むのであろう)をはじめとする戦前の映画関係者であること。チームのネーミングと各章の名前がすべて戦前からの映画の題名で統一されていること。「怪物団」というのは最近一部で話題になった「フリークス」の戦前の邦題で公開当時「新青年」のグラビアで取り上げられたことがある。基本テーマの舞台ショー「パンドーラの匣」も「パンドラの箱」で公開されたルイーズ・ブルックス主演、G・W・パブスト監督による大名作無声映画だし、「会議は踊る」から「吾輩はカモである」まで、素天堂は見ていたり見ていなかったりはするもののすべて戦前の話題作だったである! 
またモデルについても最初に断り書きはあるものの、素天堂でさえ深山幽谷徳川夢声であることはわかるし、であるから当時の読者が、登場人物の何人かは大辻司郎をはじめとして、誰でもわかる芸人たちだったと思う。また興行主任役で登場する熊谷久摩吉は当時「新宿座」の額縁ショー(いわゆるストリップ・ショーの趨りで、当時大評判だった)の考案者秦豊吉(丸木砂土)に違いあるまい。
くだくだ書いたらきりがない、スラップスティックと探偵小説という形を借りて、ここには戦前という時代への尽きせぬ夢がこめられているのだ。ちょっと前の「ねぼけ署長」でも書いたけれど、終戦後という、奇妙な解放された閉塞状況の中で、失われた、たった二,三十年前にすぎない、しかし絶対取り戻せない黄金時代への追慕の思いが込められていたのだ。さらにこの作品のちょっと変わった文体についてだけれども、これは作中人物でもある深山幽谷徳川夢声をはじめとする、戦前のナンセンス小説の文体模写、いや、横溝自身が生み出したモダン軽文学の文体の再生だったのではないだろうか。
「びっくり箱殺人事件」、これは探偵小説、就中、本格探偵小説という存在が、欧米からの移植文化であり、その風俗の規範から逃れられずに終わった戦前の状況から、日本において、その環境と文化のオリジナリティを生かす本格作品をという戦後における壮大な実験と、その成功の裏にあった、モギャーッ、キャッの美学は彼にとっての、過去への清算としての結構重要な作品だったのかもしれない。