気分は「マッツォラータ」

日本探偵小説全集 第6巻「小栗虫太郎集」塔晶夫解説 1987刊 ISBN:448840006X
モンテ・クリスト伯アレクサンドル・デュマ 山内義雄訳 岩波文庫ISBN:4003253310
多分、引っ越しも一段落したからだろうか、10数年ぶりに読み返す気になって、岩波文庫アレクサンドル・デュマモンテ・クリスト伯」を開いた。素天堂にとっては、若松賤子訳「小公子」と並んで、読み返しの定番になっていたものだ。大昔、ある会で実吉達郎さんにその話をしたら握手を求められたことがあったっけ。名作中の名作であるし、いくら名前しか知られていない“読まれざる名作”といったって、この作品に関しては波瀾万丈のストーリーと、主人公の魅力できっとミステリ・プロパーにあっても再読ファンは存在するであろう、今更レビューでもあるまいと思っていた。主人公エドモン・ダンテスが知り合いたちの嫉妬と羨望のなかで、半分悪ふざけに近い陰謀に巻き込まれ、地獄の苦汁をなめる1巻目から、物語の醍醐味に酔いしれる素天堂であったが、この作品にとってはまだまだ序章である2巻目の終わり頃、フランツとアルベールという二人の若い友人(これも後の復讐への伏線なのだが)たちに、ローマのカーニヴァル見物を奨めるところで、思わず引っかかってしまった。ルビに「マッツォラータ」という言葉がでてきたのだ。漢字は“絞刑”。とっても昔、あのキュートな少年警官がむっちりお尻を突き出して「死刑っっ!」という素敵な漫画があったけれど、まさか、「モンテ・クリスト伯」でお目にかかれるとはおもわなんだ。早速絹太氏と検索ごっこの開始。原綴はmazzorataかmazzolataか、さらに後からでてくるmazzolatoなのか。
googleを開いてみたら、英文モンテ・クリストだらけの項目中にこんなページが。http://www.dumaspere.com/pages/biblio/chapitre.php?lid=r14&cid=35 なにしろ原文でさえも統一されていないのだ。なにしろ章名はChapitre XXXV La Mazzolataなのに、本文は、Le premier sera mazzolato, le second decapitato. 『第一のものは撲殺(ルビなし)。第二のものは斬罪。』になっていて、そのすぐ後に、mais il vous reste la mazzolata『でも、ほかに撲殺刑(マッツォラータ)が残っております』というフレーズがでてくるのです。まあ、実際の処刑場面が岩波文庫第3巻30ページにでてくるので、絞刑でないのはわかったし、そのうえ《マッツオラタ(中世伊太利でカーニワ゛ルに於ける最も獣的な刑罰)虫太郎集442p》という虫太郎の引用と注釈自体が正確で、そんな処刑の機械化自体が言語道断ということなのだ。勿論、マッツォラータなどという言葉がどんなものなのかわかりっこないのは英語圏の子供も同然であって、こんな掲示板がありました。http://www.literature-web.net/forums/showthread.php?t=43&goto=nextnewest 当然、日本語圏のおじさんにも大変参考になりました。
余談だけれど、前半書き始めたものの物語に引きずり込まれてやめられず、結局全冊読み終わってからこの作業をはじめたのであった。やっぱり何度読んでも「巌窟王」はおもしろいなあ。そうです素天堂は読んでいる間中、あの小学校の図書室で読んだ講談社世界名作全集版の梁川剛一の挿絵を脳裏に思い浮かべていました。エデの糾弾も、気違い坊さんファリア司祭との出会いも。大好きでした。ところで創元推理文庫版「おぐりむしたろうしゅう」で一発変換してでたAtokのご託宣は“小栗蒸した老醜”でありました。Oh Good! 本当はこれが一番いいたかったりして。