乱歩全集の思い出

思い出と称して、何にも書いてなかったことを思い出したものの、妙に時間がなくて結局1週間がたってしまった。勿論思い出といったって二十面相にさらわれたこともなく、小林少年と一緒に車のトランクに乗って悪者を追いかけたこともない。変哲もない本好きの少年が、変哲もない本好きのじじいに変化しただけなのだが、本、ないしは探偵小説へのとっかかりが、小学校時代の少年探偵シリーズだったのは、ある意味、時代を問わないミステリ・マニアの共通性だろう。ただ、あるきっかけで、春陽堂版「乱歩全集」を全館読破したのが小学校六年生だったのは、人より早かったかもしれない。小学校の図書室の本のほとんどを読破していた素天堂にとって、その全集は新たな鉱脈だった。とはいえ、二十面相の出てこない大人向けがどれだけおもしろかったか、今では覚えてもいないが、高校時代にぼんやりと乱歩への郷愁が戻ってきたのだから、決して無味乾燥なものではなかったのだろう。まして、中学校へ上がって町の図書館へ通うようになってからは、そこや町の貸本屋にも、推理小説の新しい波に飲まれて、乱歩のらの字もなかったと記憶している。
高校に進学し、バイトもできるようになって、古本屋を知り、経済力も付いたときには町の本屋で乱歩といえば今も現役の新潮文庫江戸川乱歩傑作選」だけだった。乱歩作品への新しい興味がわいてくるとあの頃読んだ大人向けがキチンと読みたくなるのは当然なのだが、如何せん、本がない。桃源社版の真鍋博の表紙による、当時としてはモダンなペーパーバックの全集でさえ、もう手に入らなくなっていた。やむを得ず素天堂の行動範囲の古本屋を、軒並み漁りまくったのだが、「孤島の鬼」が収録されている講談社版の大衆小説全集の端本や桃源社版の新書版全集がぱらぱらとあるのを拾うのが関の山だった。
それでも、かれこれ二〇冊近くを苦心惨憺集めるのが精一杯であったが、桃源社版全集の不思議な編集方針や、春陽堂版全集の、各巻に埋め草のように散り散りに掲載されたエッセイの魅力に取り憑かれたり、「ペテン師と空気男」でプラクティカル・ジョークというものの存在を知ったりしたものだった。数年後文春ペーパーバックスから「いたずらの天才」の翻訳がでて、そのほとんどがそこに出ていたのに驚かされたりした。そんなわけで、素天堂の謂われなき社会派嫌悪はその頃のミステリー界の空気のせいなのである。
その飢餓感を、癒されるようになったのは、六九年、講談社からの全十五巻本発刊まで待たなくてはならず、さらに豊満感と発見の喜びを与えてくれたのがのちに「大ロマンの復活」と題されたシリーズの一冊目桃源社版「神州纐纈城」の登場だったのである。