感情! こりゃ僕の仕事じゃない。 ラビッシュ二冊のこと

sutendo2006-02-03

「人妻と麦藁帽子」「ペリション氏の旅行記梅田晴夫譯 世界文学社1948/1949
この日記を御覧いただいている方なら、素天堂の趣味がいくつかの流れに分かれているのをわかって頂けるだろう。その大きな流れの一つが「笑いの要素」なのだ。例えばケストナーの三部作、クノーの「地下鉄のザジ」「イカロスの飛行」、カミ、極初期の獅子文六久生十蘭e.t.c. そんな素天堂は世界大ロマン全集におけるクールトリーヌの「陽気な騎兵隊」や、コント作家フィシェ兄弟なども、結構好きだったのだ。そのせいで、スラップスティック喜劇を映画で見るくらいの凡庸なお笑い好き、実際に舞台を見るというよりは、戯曲を読むのが好きという喜劇ファンで、初期のマルセル・エイメなども、本で読んでばかりだった。多分、これを見てくださる方々も同意してくると思うのだが、怪奇や恐怖と、笑いが紙一重の背中合わせであることは、素天堂にとっては常識なのだ。何も「幽霊城のドボチョン一家」を例に取り上げなくとも。
そんな素天堂が一時入れあげたのが中原弓彦「笑殺の美学」(後に小林信彦「世界の喜劇人」として新潮文庫)だった。とにかく、サイレント時代のスラップスティックから、戦後のシチュエーション・コメディーまで、中に登場するギャグを、通し番号付きで解説紹介するものだった。当時はヴィデオなどもなく、小さな映画館や某フィルムセンターなどに通って、僅かに紹介されるその中身の現物確認を相当長い間続けたものだった。そんな中で、サイレントからのスラップスティックの巨匠として、ルネ・クレールを外すわけにはいかない。
多分、京橋だったと思うがその中で紹介されていた「イタリア麦の帽子」という洗練された無声映画をたった一度見たことがあった。あとで、それが一九世紀フランスの喜劇の作者ウージェーヌ・ラビッシュによる原作のあるものだとわかったが、そんなものが日本で翻訳がでているなどは思いもよらないことで、ろくに探しもしなかった。ところが、つれづれの古本漁りの獲物に「ペリション氏の旅行記」といういかにも軽いフランス装の本がかかったことがあった。それがあの「イタリア麦の帽子」の作家だったのだ。アッケラカンとした乾いた笑いと、ほかで見ることのできない底の浅い(←これはほめ言葉である)登場人物や、早いテンポに魅せられはしたけれど戦後の早い時期にでた同じ訳者によるもう一冊を探すことさえしないうちに、その「ペリション氏」も手元を離れていた。
訳者解説にもあるけれども、明治時代の重訳での紹介をのぞいては、あの広範な刊行会や第一書房の世界戯曲全集でも、クールトリーヌの作品は紹介されているのだがラビッシュは入っていない。現在でも日本では決して優遇されている作家ではない。ただ、再読を今回思い立ってネット検索したら、結構リストにでていて、二冊とも入手することができた。実際読んだことがあったのは「ペリション氏」の方だけで、「麦藁帽子」のほうは見たこともなかったので、これはうれしかった。