はるのうた つきのこころ 和漢の散歩 長沼弘毅 自由国民社 昭和三十一年刊

sutendo2006-03-15


またも懲りずに思い出話だが、文藝春秋社から刊行された長沼弘毅著「シャーロック・ホームズの世界*」1962が、その瀟洒なカヴァー絵とともに中学生だった素天堂にもう一つの世界に引き込んでくれたのだった。太めのペンで古いロンドンの町並みを描いた木版画風の絵のイラストレーターは俳優、伊丹一三。そのすぐ後に「ヨーロッパ退屈日記」で伊丹十三として、エッセイストとしてデビューする直前の仕事だった。
そのシャーロキアーナとしての内容は以下のサイト*でご覧頂くとして、その、フィクションを実在として分析、解剖してゆく、いわば、まじめに遊ぶことのおもしろさを教わったのは、この方の仕事からだった。縦横に資料を駆使していかにももっともらしく、作品の内容に入り込んで遊び回る。こんな素敵な遊びがあっていいものかと、その頃の中学生が思うのは当然である。十冊近いその作業はゆっくりとだが着実に、シャーロック・ホームズの実在に迫るものだった。
雑誌「幻影城」が発刊され、最初の評論部門の作品募集を見たときに、最初に考えたのが、方法論としてのシャーロキアーナであった。以来、その手法の陥穽に落ち込んだまま、○十年遊び続けているというわけである。
そんな“恩人”の一人、長沼弘毅のもう一つの顔が、これだった。著者の名前に惹かれてカヴァーなしの雑本としてとりあえず購入したものの、漢文の素養もないし、和歌、俳句についてもほとんど興味らしい興味はもっていなかったに等しいから、全く、手もつけずにおいていたものだった。とは言っても、古い友人の漢語フリークにつきあって、門前の小僧程度のうすい興味は持ち始めていたのだ。http://d.hatena.ne.jp/sutendo/20050220にも書いたとおり、戦前の文人詩人にとって漢詩は“教養”ではなく、その末梢神経の端々にまで行き渡って、その言葉の栄養になっていたのだと言うことを実感し始めていたので、今回、わからぬままに読んでみる気になった。
題名こそ「和漢の散歩」と柔らかいが、内容は著者のシャーロキアーナ的方法のあたかも実験のように、テーマ「風 楼に滿つ」だとか「酒旗の風」だとか「門を敲く」もある、によって和の短歌、俳句を取り上げてそれらの中に顕秘を問わず、漢詩の影響を探るというものだった。とはいえ、鑑賞の態度は真摯で自分の眼鏡を通して、古今を問わずあくまでも自分の価値観で作品と取り組んでいる。そこでは意外な作品がけなされ、もっと意外な作品が掘り出されているのだ。勿論、素天堂だけがそう思っているかもしれないのはいつものことだが。で、「燕泥(燕が巣作りに運ぶ泥)」で選ばれている、高校の漢文の授業にでもでてきそうなこの作品、

錢塘湖の春行 白楽天

孤山寺の北 賈亭かていの西 / 水面初めて平かにして雲脚垂る / 幾處いずくの早鶯暖樹を争い /
誰が家の新燕か春泥を喙む / 亂花漸く人眼を迷せんと欲し / 淺草わずかに能く馬蹄を没す /
最も愛す湖東行けども足らざるを / 緑楊陰裡の白沙堤

たった五行で、中国の名勝“西湖”の春をうたいきって、文字通り、春に遊ぶ人の心をやさしく表しているのだ。今の時期、まだ春とはいえ寒さの方が勝っているとき、この長閑さが待ち遠しくて引用してみました。
昨日は満月。
今住んでいるところは、都内にしては空が広い。退勤時、自転車から見上げると真っ正面に今日の月が明々とみえる。そんな環境なので、テーマの一つ「月天心」に共感おく能わざる句が引かれているので、ここに孫引くことにする。蕪村は俺の住処を知っていたのかとさえ思う。

月天心 貧しき町を通りけり 蕪村

この句に関しての鑑賞として三好達治の文が引用(この鑑賞に関する著者のコメントがまた楽しい)され、誠にわが意を得たのであるが、長文になりそうなので断念。
添付の画像、右上の梅の脇、白い汚れが十二夜の月 於亀戸天神