雑誌の魅力 新青年残香(二)

sutendo2006-03-21

マガジンハウスという出版社は、素天堂の世代にとっては、週刊誌といえばオヤジの通勤のお相手でしかなかった頃に登場した、今はなき「平凡パンチ」であり、今ではすっかり様変わりしてしまった「an・an」の創刊当時の尖った編集コンセプトが忘れられない(当初は読者を若い女性に選んでいるのかどうか疑問でさえありました)、ある意味特別な匂いを持った出版社なのです。
それらは、私たちの生活を変えてしまったといってもいいかもしれない、それなりの先端性を持っていました。特に、別冊の「平凡パンチ Delux」はヴィジュアルを多用した、今風にいえば“ライフスタイルを提言”していたのかもしれません。都会というエリアが今のように広くなく、さらに町と地方の格差が格段に大きかったその時代に、まだまだ、都市周辺部とはいえ“田舎”の要素の濃いマチに暮らす少年や少女に、都会のセンスを教えてくれたのが、「平凡出版」いまの「マガジンハウス」の出版物でした。ただその編集方針のために、後続の一回りも二回りも泥臭い類似誌に結局、読者を奪われていくことが多かったと思います。
ただそれに迎合することなく少年向け情報誌「ポパイ」“新しい”主婦に向けた「クロワッサン」と新ジャンルに挑戦を続けて来ていると思うのです、そして「HANAKO」。ケン・ドーンの派手派手な表紙で登場したその雑誌は素天堂にとっては、生まれ変わって登場した「an・an」のように思われたのです。実際には女性向けの、それなりにトンガッた情報誌として人気を博し続けているのは、先刻、みなさんご承知です。
長々とわかりきったことを書いてきたのは、いわば、前ふり。一九八〇年ある意味、不思議な時代(そう、終わりなき右肩上がりの幻想をほとんどの人が持たされた時代だったね)を予感する不思議な雑誌が創刊された。今まで空白だったいわゆる Over30's を対象とした、上級「ポパイ」である「ブルータス」であります。
創刊時の感想は今でも覚えていますが、友人の本屋の店先で「こんな雑誌、誰が買うんだろうね」「あんたが買わなきゃ誰が買うんだよ」という会話を交わしたものでした。でも、趣味に走る三十代が、増えたせいかもしれませんが、その独特の読書特集を始め、やっぱりときどきは“俺が買う”雑誌の一冊になってしまいました。ヌード特集「裸の絶対温度シリーズ」は、多分評判がよかったのでしょうが覚えているだけでも四回に及んだはずです。特集による濃淡はあるものの今でもちょっと気になる雑誌の一つではあります。
で、残香の件ですが。
確か、創刊号には食指が働かず、次に買ったのがこれ、八月号。編集者の弁によれば

或る日、西麻布の散歩者が、道端に捨てられていた古雑誌や古書籍の山の中から一冊の古い写真帖を拾いあげた。その中の一枚の写真から、特集《親爺たちの時代》のイメージが拡がっていった。過去を回顧しつつ、好き暮らしの何であったかを再発見し、提案してみたいと思ったのである。

ということで、いわゆるBRUTUS流の“とってもお洒落な”回顧特集なのであります。


中井英夫の「新青年」エッセイを始めとして、渡辺温の小説「嘘」、ヴォガンヴォグの謎の筆者中村進治郎の紹介もあって、さらに二ページとはいえ宇野千代編集の躍んだファッション雑誌「スタイル」が多量の写真入りで登場するのだから、すごい。巻頭が、鈴木清順演出・荒木経惟撮影による(ファッション)フォトストーリー「仇敵譚」。原田芳雄藤田敏八演ずる、これが全く「ツィゴイネルワイゼン」の世界。巻末に荒木の撮影日記までつくという豪華版。至れり尽くせりとはこのことでしょう。雑誌というのは現物を見なくてはその魅力をつかみきれないものなのですが、記事だけでなく広告、コラムと相俟って形づくる雰囲気のようなものはこんな駄文では紹介しきれないのが残念です。そこここに編集者の、「新青年」にかぎらぬ、よき時代へのオマージュがあふれたすてきな特集になっています。コラムの一つに「書斎考」というのがあって、その見本として澁澤龍彦の書斎が選ばれているのも一興かもしれません。そこは一生に一度だけの、思い出が素天堂にはこもっているのです。http://homepage2.nifty.com/weird~/kitakamakura.htm