雑誌の魅力 新青年残香(三)「広告批評」百三十号 1990/7

sutendo2006-04-01

古くさい言い方でいう、“宣伝美術”が好きでした。町のあちこちに貼られたポスターや、新聞雑誌の広告は、素敵な生活を夢みるビンボー中学生にとっては、もう一つの世界への招待状でもありました。図案家がデザイナーと横文字で呼ばれ、東京オリンピックの四枚のポスターが脚光を浴びた頃、下絵描きがイラストレーターと呼ばれはじめた頃、素天堂は広告というものに憧れていました。
地元の公立図書館への耽溺は前にも書きましたが、そこで見ることのできた、大判の建築雑誌の間取り図や写真は、まだ、駅前に闇市の痕跡の残る郊外のゴミゴミした町に住む少年にとっては、あこがれの世界を垣間見せてくれる一時のオアシスでした。
なにしろその図書館自体が米軍払い下げの蒲鉾兵舎の使い回しであり、その一角ではCIE(米駐留軍民間情報教育局)が提供する、夢の米国生活を彷彿とさせる書籍や雑誌、写真年鑑が閲覧できた(チャールズ・アダムスの漫画を最初に見たのはこのコーナー)という、まだまだ戦後の匂いが残っていた時代なのです。
話は横道にそれるけれども、小林信彦の名作シリーズ「オヨヨ大統領」のヒントになった、フランス映画の佳品「幸福への招待」でも貧しい主人公たちの、悲しい空約束のシーンで、派手なアメリカ車と、ヒロインの部屋に張られた雑誌の観光広告が重要なキーポイントになっていたのを思い出します。
今でこそ、物余り、ほしい物がない状況などといわれるけれども、その頃は“モノ”へのあこがれがまだまだ強くかったのです。だからこそ、当時の素天堂が新刊のでるのを待ちかねて読みふけったのが「暮らしの手帖」でした(今は変なおじさんだが、その頃は変な中坊だったのだな)。そこで繰り広げられる、数々の商品テストは、その雑誌のコンセプトとは裏腹に、まだ、十畳一間に七人が暮らす社宅生活(或る意味理想の三世代同居といえるかもしれないが)、そこでは各部屋に炊事用の水道もなく、朝晩米をとぐのも釜を持って何十メートルも離れた、棟のはずれに設置された共同水道まで行かなければならない、そんな日常のなかの、中学生の飢餓感を癒してくれるのがその雑誌だったのです。「暮らしの手帖」という洗練された雑誌は、素天堂にとって叶うべくもない、幻の生活への入り口だったのです。ただ、その雑誌には唯一の欠点がありました。雑誌の性格上、広告が掲載されていなかったのです。
前回にも書いたとおり、雑誌好きの素天堂にとっては雑誌とは記事と広告があって、はじめて完成されるものだと思っています。いい雑誌にはいい広告が集まってくるのでしょう。いい広告とはどういうものか、素天堂は具体的に語ることはできもしませんが、それをしようとした雑誌があります。それが今回の「広告批評」です。不思議な雑誌です。素天堂が考えているような、広告に対する甘えた考え自体をひっくり返すような内容なのかもしれません。けれども、この雑誌をやっている人たちは「きっと広告が好きなんだろうな」と思わせるので、広告好きな素天堂はこの雑誌が好きなのです。


さらに奇妙な特集も素天堂の雑誌趣味をくすぐってくれます。もう大昔になってしまうのでしょうが、タモリが一九八二年十月「笑っていいとも」で、“国民のオモチャ”としてデビュウ、もてはやされるずっと前(といっても一年半だが)にあの伝説の名盤「タモリ3 戦後日本歌謡史」の歌詞紹介を含む大特集を組んだりしているのです。
その雑誌が、「新青年」の広告に着目したことがあります。それが表題の号。文字通り“いい雑誌にいい広告”の見本のような特集です。