迷宮としての世界 「謎の蔵書票」

謎の蔵書票

謎の蔵書票

しばらく前に手に取っていながら、埋もれてしまっていたこの本が、いつの間にか姿を現したので読んでみた。「本にまつわる蘊蓄をちりばめた」などという帯の惹句に却ってうさんくささを感じて敬遠していたのは、ちょっと失礼だったかもしれない。ルドルフ二世なきあとの、蹂躙されるプラハの“驚異の部屋”から始まって、その最後の劇的な館の壊滅に至る不思議な経緯は、ストーリーの中核をなすアイデアの無理にもかかわらず、眩暈に似た感覚をあたえてくれる。
倫敦橋の中程に店を持つ、古書肆「無類堂ノンサッチ・ブックス」の店主に届いた一通の奇妙な依頼から、この話は始まる。三十年戦争という、ヨーロッパ全体を覆った災厄を挟み、二十年代のプラハと、清教徒革命の大波が退いたばかりの一七世紀中葉の倫敦を舞台に、南米ギアナにおこる“黄金郷エル・ドラド”の伝説、白檀で造られた夢幻のような船、館の一室に設けられた薬臭い実験室等々、ちりばめられた盛りだくさんのギミックの織りなす、捻れたストーリーは、「えっ!」という謎解きで終わりそうになるが、作者はさらにもう一つの終末を用意する。
信仰とか主義とか、よってたつ立場によって、猛毒ともなり良薬ともなりうるのが、“書物”という物の功罪であり、だからこそ叡智の結晶としての書物、に対する権力側の恐怖が、時代と地域とにかかわらず、いつでも書物に対する迫害となってあらわれ、それを守ろうとする側にも、最大級の努力と献身を要求する。そんな不思議な、書物なる物の魅力がこの作品には満ちあふれている。だからこそ「LITTERA SCRIPTA MANET−書かれた文字は残る」というこの作品の舞台となる、ポンティフェクス館の銘は、本を守る側の祈りでありながら、結果としては狂熱にまで発展してしまう、蒐書にまつわる皮肉な寓話を現しているのかもしれない。
権謀と術策渦巻く、あまりにも劇的なこの時代だからこそかもしれないが、この時代をテーマにした作品を素天堂はあまり見たことがない。古典でいえばシラーの「ヴァレンシュタイン (岩波文庫)」、近代ではハクスレイの「灰色の宰相 政治における信仰の破産」 福島正光訳 フジ出版社刊 くらいか。リシュリュー配下の参謀として悪名を残すペール・ジョセフの生涯を描いた後者(素天堂にとっては虫太郎本でもある、この魅力的な作品についてはそのうちに書くかもしれない)は、この「謎の蔵書票」に登場する、まるで四十年に渉って執拗に“その本”をつけねらっているようにしか思えない、正体不明の三人の刺客についての或る意味、裏付けになる作品かもしれない。
この、図書館の廃墟のような幻の館の様子は、古本屋の親爺の、探さなければならない幻の羊皮紙本「Labyrinthus Mundi 迷宮としての世界 1*」そのままの世界であり、敵も味方も含んで、強大な覆水流に流されてしまう結末は、まるでJ.M.ガンディ描くところの「英国銀行」のようだ。

   1*当然、作者の念頭には、G.R.ホッケの大著が念頭にあったのだと思う。