大戦間のまぼろし 「夜ひらく・夜とざす 縮刷合本」ポオル・モオラン 堀口大学訳 新潮文庫第二期(7)昭和四年一月一日初版/同一月二三日十二刷


四期にわけられる新潮文庫の中で、第三期が戦中まで永らえたのと比べ短命だった大型本シリーズの一冊。一年半で十九冊。その大半は日本現代文学で、海外物はモオラン・大学の「夜…」と「戀の歐羅巴」の二冊のみ。この頃の若い文学への影響を考えるといかにもの選択かもしれない
モオランとの最初の出会いは角川文庫版「夜ひらく」だった。それからあとで、グレーのカヴァー装の「現代仏蘭西文芸叢書」版を、みつけしだいに二冊とも揃えたくらいだから気に入っていたのだろうと思うが、その当時の自分が、この作品のどこが気に入っていたのかが分からない。そりゃあ、今読んでこの連作短編集の楽しさ、おもしろさが分からないわけではないのだけれど、再読してみて、今なら分かるけれどあの頃のおまえに、このニュアンスが分かったのかと聞いてみたい気がする。それぞれが、ドラマチックだったり、脱力的だったり、港港に女ありの恋愛遍歴の裏側にひそむ暗い虚無感は実に魅力的だ。両大戦間のいわゆるロスト・ジェネレーションのフランス版ですね。
亡命ロシア女性の矜持、無政府主義者の女性との破られた約束の裏側などなど、スピーディな語り口と絵画的な修辞に包まれて、繰り広げられるコスモポリットな“あたらしい”恋愛譚の数々は、当時の若いひとのお気に入りになれたのも、さもありなんと思わせる。
勿論、そんな話ばかりではない。旧弊なフランス風のモラルに縛られた主人公のヌーディスト・クラブでの反応が愉快な、「夜ひらく」最終話のエンディングである。

私はかの女を抱きかかへた。かの女はそのまま、一晩中私に抱かれてゐた。一晩中と云ってもほんの十分間たらずの僅かな時間である。何故なら、太陽は手早く行水をすまして、また大急ぎで、もう昇り始めたからである。

だがそこで知り合った少女と過ごす北欧の夏至の夜の描写は、ムンクのふしぎな夏の夜の絵を思わせるエロティックな香りが漂い、北の国の少女の健康な体臭さえ感じられて結構清々しかった。いいなあ。

うーん、ここら辺がその頃の自分にとってはお気に入りだったのかもしれない。ということは、馬齢を重ねても、感性なんてそんなに変わるもんじゃないのだろう。
信じられないことに夏コミ受かってしまいました。8月12日(土)東“ぺ”ブロック-57b 黒死館附属幻稚園  プヒプヒさんのお隣みたいです。ワクワク。