周知のこと

誰も知らなかったり、新しい発見があったりするのを書くことは楽しい。
ほーらね。すごいだろう。といえる快感がたまらなかったりする。
だけど、周知のこと、だれでも口にすることを、殊更に構成しなければならない作業は、快感より苦痛だ。ましてその内容が自分の手に余るとき、その苦痛は倍加する。たとえ書き上がったとしても、それを、みんな手に取ってくれるだろうか、それを思うとまた、作業の手が遅くなってしまう。夏コミまでがこんなに遠かったのか。
読み返してみて「僧正」「Y」のすごさを再認識したり、ある方の論文で、「Y」と「グリーン家」について、今取り上げようとしているテーマについて、あのひとが「黄色い部屋……」で書いていたとか。もう、記憶の彼方に霞んでしまっているのに。そんなわけで、今更ながら資料の欠如に苦しむ日々が続く。それでも「黒死館」狂いは増幅こそすれ、薄まることはないのが、かえって、悲しい。