ElysiumとしてのAsylum  『博士と狂人』

読書家の理想郷とは、まず存分の財力があって、必要と思われる書籍はすべて手元に置け、さらに、自分の時間のすべてを、読書という行為につぎ込めることではないか。ここには、そのすべてを手に入れ、その生涯の大部分をつぎ込むことのできた稀有の人物が登場する。但し、彼の支払った代償はあまりにも大きく、生涯にわたる狂気と、自らの犯した殺人という行為への自責という、前代未聞のつけを払い続けたのであった。
彼、ウィリアム・チェスター・マイナーのような人物が、OEDという、略語でも通用する大辞書に関係していたことは、多少辞書に興味ある人なら周知だったのかも知れない。このところ、戦争と大量殺人に関して、『ダンテ・クラブ』というミステリで突きつけられていたので、同じ「南北戦争」に関係する人物の評伝としても、興味深く読まされた。彼の狂気の原因が、どこから来たものかは特定できないにせよ、戦争における、ある行為が引き金の一つであったことは否めないだろう。そのため、従軍中から発病し軍務に耐えないとして除隊されてしまった。
米国での短い療養ののち保養をかねて、英国はロンドンに滞在するのだが、そのとき、無関係な労働者を、発作のために射殺してしまった。逮捕されたマイナーは精神異常を認められ無罪となったが、以後その殆どの期間を、英国の精神病院で過ごすことになる。名家の出で、エール大学出身の彼はその周囲を、古書、稀覯本で埋め尽くし、《優雅な》療養生活をおくる。
そんな彼のもとへ、《彼を許した》被害者の妻が数度の訪問を行った時に、持ち込んだ書物に大きな転機となるパンフレットが紛れ込んでいた。それが、彼と誕生前のOEDとの出会いであり、編纂者ジェームズ・オーガスタス・ヘンリー・マレーとの出会いであった。以後四十年近い交流が続き、マイナーの協力した語彙は数万点におよぶという。この公的な行為は、彼の病状を和らげ、精神にある程度の安定をもたらしはしたものの、終生、病のくびきは彼を離れることはなく、晩年にいたって、彼の自責と狂気は彼自身を傷つけることになって、ついにその作業からも手を引かざるをえなくなった。しかし、彼らの友情は、単なる辞書の編纂者と協力者という立場を超えたものになっており、最後にいたるまでとぎれることはなかった。マイナーが彼の理想郷を離れ、本国に帰らざるをえなくなった時、手元の書籍はマレー博士に依託されたのち、博士の死を知らされたマイナー自身の希望により、未亡人を介して、読書狂の聖地「ボドレイアン図書館」に寄贈された。これこそ読書家の望む至高の境地ではないだろうか。
終わりに近く、本当に一言、ぼそっとという感じで語られるのだが、彼の英国時代の収容施設において彼の《同窓》に、あの狂気の妖精画家リチャード・ダッドが収容されていたのだという。
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