「薔薇生籬に絡めとられた駑馬」 フリッツ フォン ヘルツマノフスキー=オルランド

sutendo2006-08-03

あるエッセイの遍歴について
この原題を持つ奇天烈な小説について語ろうとするとき、その時代の自分たちにとって『ユリイカ』という雑誌が、どれほど重要であったかを回顧することが必要になってくる。また昔話になってしまうが、当時は現在のように探せば見つかるというほど情報量もなく、発行される書籍も自分たちの望むジャンルなどはほとんどなかった。そんななかで自分たちの渇を癒してくれるのが『牧神』をはじめとする文芸系リトルマガジンだった。それらの新興雑誌がいわば手本にしていたのが『ユリイカ』だった。その『ユリイカ』が一九七一年に出してくれたのが臨時増刊「総特集 エロティシズム」だった。黒いミューズコットン紙に銀のインクで古い銅版画が印刷された美しいその雑誌は、当時の我々にどれだけ衝撃を与えてくれたか計り知れない。当時存命だった稲垣足穂に「書斎のエロティシズム」と揶揄されたのだが、それこそ、それがその特集の目指すところであり、当時の出版事情で、単行本では発表できない事項を、雑誌だからこそできる編集で我々に見せてくれたのだった。その衝撃が並々ならぬものだったのはその《雑誌》自体が、二十年を超えて数回の増刷を繰り返していたことでも判ってもらえると思う。
勿論澁澤、種村を巻頭に、まだまだ無名に近かったベルメールに関する情報をはじめとして、いまでも、それぞれの分野でないがしろにできない名論文が目白押しだが、その中で、自分と友人が最も興奮したのが、「母胎回帰−ウィーン・ロココ」という論文だった。筆者は、自分たちがまだほとんど知らなかった《池内紀》という人だった。帝政時代のウィーンという未知の街を舞台に、いかにも古めかしい二重名前の作者と、彼の書いた『薔薇生籬に絡めとられた駑馬』という作品の衝撃。何度かその雑誌は読み返していたのだが、やっぱり一番喉に引っ掛かるのは、その作者自身による挿絵とともに、作品としての『駑馬』だった。
暫くして、友人が地方で喫茶店を出すというので、開店の手伝いにいったその店で新刊案内を見つけた。『ウィーン 都市の詩学』(1973)。著者はあの、池内紀だった。早速、街の書店で買ったのは美術選書(あの澁澤龍彦『夢の宇宙誌』と同じシリーズ)だった。ほとんどが書き下ろしのなかで、「総特集 エロティシズム」に掲載されていた評論は、短く「ロココ」と改題されて(いま比較してみると大きく増補されている)収録されていたが、勿論『駑馬』は掲載されていなかった。勿論、他の書き下ろしも無駄がなく、よくできた本だとは思ったが、やっぱり残念だったのは当然だろう。
その頃は六十年代に引き続き、個性的な出版社の創立が相次ぎ、その波に乗って、『ユリイカ』のような雑誌が続々と創刊された時代だった。その誌名をいちいち上げはしないけれども、のちに『牧神』という雑誌でその波に乗り込んだ牧神社は、最初から独自の、滅茶苦茶趣味的な文芸路線を展開していた。そこで、創立三年目くらいに出版したのが『皇帝へ捧げる乳歯』オルランド著 池内紀訳(1976) だった。書名は違うし、作者名も微妙に違ってはいたが、手にとって驚いた。これがあの『駑馬』だった。
同じドイツ人でさえ、字面は追えても、その内容は判るまいという訳者の弁にもある通り、オーストリーハンガリー二重帝国という奇妙な国家の中にあって、その末端に位置する下級官吏の、想像を絶する妄念の世界。帝国末期の膠着した官僚制度のなかで、自分の恋愛感情と、皇帝への忠節をはき違えつつ、混乱、破滅していく主人公と彼の周囲の人々の、悪夢を悪夢と思わぬ太平楽は、カフカの諸作と比べても、根深く大きい不条理な世界なのだから、内容を如何に略記しようと、その破天荒で奇妙な魅力は、読んでみなければ判らぬ世界、というしかない。その世界の解説として、あの「ロココ」が大幅に刈り込まれ、構成し直されて、この本のあとがきになってとけ込んでいた。多分、ここでそのエッセイの役割は終わっていたはずだ。紹介すべき本自体が現れたのだから。
だからこそ初版こっきりで世間から消えてしまった『皇帝へ捧げる乳歯』に対して、池内の処女エッセイ集である『ウィーン 都市の詩学』は、十数年たって、副題を変えて文庫化された(1989)。ウィーン―ある都市の物語 (ちくま文庫) そこからは、「ロココ」という奇妙な世界を書き込んだあのエッセイは消えていた。初出から、まず『ウィーン』へ衣替えし、さらに『皇帝へ捧げる乳歯』のあとがきへと姿を変えたそれは、本体とともに姿を消した、と思われるのだが、《ここで話は冒頭へ戻る》じつは、『ユリイカ総特集 エロティシズム』という初出掲載誌が文庫発刊当時、まだ、再版本が現役だったので(手元の資料は第六版1992)、そこではいつまでもオリジナルのまま、幻になってしまった『駑馬』の紹介が続いているのだ。それこそ、このアナクロニズムの奇妙な世界を描いたエッセイにふさわしい、魅力的なエピソードといえよう。