光学的な行為 東京国立博物館にて

sutendo2006-08-08

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勿論、若沖の特異だが見事な墨の技法に驚いたり、鶴の連作の楕円の筆勢に感激したり、あのマトリックスの動物群像に涎を垂らしたりはした。同時期のいわゆる奇想の画家たちに対する、有名無名を問わない収集に対する、コレクターの目の確かさ(これはちょっと前に公開された、ヴィクトリア朝絵画におけるウィンスロップ・コレクションにもいえる)も素晴らしかった。
だが、本当に素晴らしかった最後の展示コーナーは、大決断。すべての展示品は(ガラスのケースに入れず)直接目で見ることが出来、本来の屏風としての置き方で展示し、さらに照明と鑑賞者の位置が変化することによって作品の見え方が如何に違ってくるかを見せようとする試み。現代の作ならともかく、明治以前に書かれたものは当然その当時の照明で最善の鑑賞ができるように書かれているものだ。ということを改めて認識させてくれる物だった。

金箔、銀箔、墨、鉛白などの画材が、描かれた当時の照明法で鑑賞することによって、立体感、遠近感、コントラスト等、いかなる効果を求めて使われてきたのかをみせてくれる。すべてを平面的に展示し、明るい光線のもとで鑑賞するという行為が、どれだけの物を失わせてきたのか。自分たちは、もう意識しはじめた頃から、絵画の鑑賞というのは、ガラス・ケースの壁に平面で飾られた物を明るい人工光で見る物だと思わされ続けていた、その常識を覆す、貴重な展示であった。絵画鑑賞は優れて光学的行為であることが、自明の筈なのに、如何にないがしろにされ、頭脳的な行為としてしか扱われてこなかったか。