卑近な例 絵画の展示について

若沖展で舞い上がって、上記について、ストレートに打ち出したところ、A君とS君と宗男議員さま、蔭軒氏、と素天堂の知りうる最上のコメンテーターから、ありがたい反応を頂いた。本来はコメントでお返しすべきだと思うが、この点については両氏の投句でおわかりの通り、どうしても長くなりそうなので、改めて日記とすることにした。
 ジョン・ソーン美術館内部(個人コレクションの極北)
美術品の成り立ちと展示とか、コレクションというものの性格とかについては他に語るべき方もいらっしゃると思うので、素天堂好みの卑近な例として、展覧の中の「柴田是眞」繋がりで浅草寺の大絵馬の話をしたい。
友人が近所に住まいしていたこともあって、「浅草寺」はわりあい身近な名所だった。前日の深酒の酔い覚ましを兼ねた散歩の終点で、朝早い、まだ参拝客もまばらな本堂を覗くという、不敬な贅沢を味わえたのである。いまはなき「国際劇場」脇の「今半」の路地を抜けて、大通りを渡り、「花やしき」の前から境内の横へでるのがいつものルートだった。
まとわりつく鳩を蹴散らし、一応口をすすぎ、本堂の大階段を上がって中にはいって、まず、上を見上げると、そこには皓々とした祭壇の灯もやっと微かに届く程の高さに、揃いもそろって、恐ろしい画題の絵馬が並んでいる。百年を経て、祭壇の蝋燭や線香の煤をかぶった、それらの板額は、いついっても薄闇に浮かんで、朧だけれどくっきりと怖い「茨木」や「一ツ家」の鬼女たちが、我々不敬な参拝者を見下ろしているのだった。一心に見なければ見分けもつかないそれらの板絵は、だからこそ、本当に怖かった。
http://www.aurora.dti.ne.jp/~ssaton/meisyo/sensouji.html
どれもこれも、不敵な面構えの作品揃いで、今は絵馬堂に納められ、一般公開されていないらしいけれども、幸運にして目撃出来たものの証言として、書いておきたい。浅草がらみでこんな事を書いていたら、たぬき通りの酒蔵「松風」も思い出してしまった。結局、刺身持ち込み、芸者付で、あの店で飲めるような風の大人にはなれなかったな。