二つの顔in丸の内

sutendo2006-11-13

最近は変わってきたけれども、夜7時を過ぎた丸の内仲通を丸ビルの裏から晴海通りに向かって歩きはじめても、僅かな残業者のいる部屋に灯された照明の、地上に映る仄かな灯り以外には周辺のオフィスビルにはほとんど人の気配すらない。それが、馬場先門を越え、有楽町駅に近づくにつれ表情が変わりはじめる。周辺のビルの地上階には、一般向けのファッションや飲食の店が顔を見せ始める。東京會舘、帝国劇場で、町の表情が堅いビジネススーツから、華やかでリラックスしたお楽しみモードに変換してしまう。勿論、オフィスビルも混在しているが、明かりが消え、正面を閉じられたそれらは、夜7時を過ぎたらただの空間に過ぎなくなってしまうので、丸の内という地区の顔が、ビジネスからエンターテインメントへと変貌する。大部分の勤め人は、夕刻をすぎれば、郊外の自宅へ帰ってしまうから、ごく僅かな例外を除いては、その夜の顔を知らないし、晴海通りを渡った日比谷の映画街などほとんど縁もなく過ごしている。
その二つの顔を使い分けた稀有の例が、秦豊吉という存在だった。東大出身の彼は文学の趣味を介して、表向きのエリートサラリーマンから、作家・翻訳家を経て、エンターテインメントの仕掛け人として、宝塚劇場、日本劇場の支配人として丸の内周辺に君臨した。超一流商社マンとしてヨーロッパに派遣されていたときの、彼のエッセイは彼の地における同時的な演芸に関する貴重な情報だったし、そこでの蒐集がのちの別名、丸木砂土としての海外軟文学紹介の基礎になっていたものだろう。

東宝へ入社して頭角を現していた、彼の活動のまとめがこの『丸の内夜話』だ。彼の多面的な趣味が横溢する本づくりは、まずその表紙に現れている。 ビーチパラソルの下、デッキチェアーにくつろぎながら読書する、ワイシャツにネクタイ姿男性こそ、当時の彼の似姿だろう。後ろに従えた断髪にセーラーシャツを着て、テニスラケットを手にする少女は、いわゆるモガの象徴的な姿だし、周囲を囲む木々は、彼の本拠地日比谷の散歩スポット、日比谷公園に違いない。
内容は、大喜利の「芝居談義」がメインだけれども、友人だった芥川龍之介の回顧、当時の人気女優水ノ江滝子評を始めとしたギリギリ丸木砂土がらみの「女の噂」、当時の経済に関するエッセイ「インフレーション極楽」まで、話題が幅広く、視点がユニークなので当時の世相断面としても、おもしろかったが、なんと言っても戦後のエンターテインメント産業の隆盛のもととなった演劇観の発露である「ダンシング・ガール」「江戸見世物の近代化」「倫敦のヴァライエティ」などは、その先見性と共に、戦後の「額縁ショー」に始まる、大衆娯楽に関する彼の哲学が、もうすでに固まっていたのだと思わせる。
そのアイデアのもとになったかも知れない、「倫敦のヴァライエティ」から、こんなギャグを引用する。

引張緞帳を開けると、黒幕の前に活人画を出し、道化連中の一人が説明役となって笑わせる。最後に「イブ」という題で、はだかのイブが、木の葉を体につけて、手を上げて台の上に立っていると、そこへ同じく道化師が見物人に扮して、その客の前に座り込んでしまう。説明役がどうしたのだと聞くと、見物人曰く「秋になるまで待っているのだ」。

見たことは、勿論無いのだがあの「日劇ミュージック・ホール」の舞台ではこんなコントが演ぜられていたのだろう。