一人でしかできないこと、一人では絶対出来ないこと 『NARA:奈良美智との旅の記録』

ラディンさんから「ですぺら」での歓談中にチケットを頂いていたので、今朝早く家を出て渋谷へ出かけた。丁度窓口が開いたばかりで、列も短かったので受付登録もすぐに終了。坂を下って角のカフェでお茶。時間調整も兼ねて、渋谷の「HAND'S」に初めてはいる。最上階のモデル売り場で、久し振りに時間を忘れてしまった。出口が変わって戸惑いながら、K氏の誘導で「シネマライズ」に無事到着した。『ドリーム・チャイルド』1986以来、映画といえばここか、「日比谷シャンテ」だったので、とても懐かしい。
でこの作品の内容と感想なのだが、題名の通りとても良くできたロードムーヴィーという印象だった。ものをかくという作業は、〈書く〉にしても、〈描く〉にしても、自分を追い込んで「作品」をその底から引き出すことだから、その作業を誰も手伝うことは出来ない、孤独な作業なのだとおもう。反面、表現者としてその作品は公開しなければならない。その二律背反の彼なりの解決が展覧会場の中にいつも造る小屋だったのだと思う。その彼が、韓国、イギリス、タイ、etc.と展示を繰り返していくうちに、協力者であるgrafのメンバーとの共同作業という方向に新しい可能性を見出して、故郷青森(弘前市)での展示全体を小屋の集合体(これはもう社会関係としての街のモデル化であろう)で構成する「AtoZ」という〈作品〉となった。奈良が最後に語った言葉「得たものもあるが、失ってきたものも多い」のとおり、初期の奈良作品で顕著だった他者への拒絶、たとえば、ナイフだったり、血だったり、は消え、最近の作品では、その替わりに寂しげではあっても、そこに他者への語りかけの眼差しが登場してきている。それの当否は措くとして、いつまでも人は変わり続けていかなければならないのだ。とはいえ、映画は柔らかく温かく奈良と彼の周縁の人々たちの変化をとらえ、弘前での展示場を遠望する丘の上でのハイキングで一時のエンディングを迎える。そのミニチュアの街には、それを取り巻く世界が存在しているのを強調するように。
十分な満足感のうちに見終わったK氏と、小屋をでて公園通りのスパゲッティ屋でグラスワインつきのスパゲッティを食べて、さらなる満足感のうちに帰宅したのでありました。