「山王書房」で売ってもらった本たち

京浜東北線大森駅を山側で下りて、ゴミゴミした駅前のマーケットを抜けると、線路沿いの大井町から馬込方面に向かって下り坂のバス通り、池上通りだ。『夕暮の諧調』を買った本屋さん「ハラダ」が道の向かいにあって、ホームにくっつくように線路際にあった芹沢硑介の作品をモチーフにした店内装飾が瀟洒な、レストラン「のなか」とか、坂を下りきって海側へ抜けるガードを超えたところの、(今はなき、だそうだ)喫茶店「葡萄屋」。落ちついた店内で悪友達とやった〈ジン・ラミー〉。コーヒーどころかウィスキーを注文して、無いつまみをねだって営業時間前の隣の焼鳥屋(このお店の出店は銀座にもある)さんから取り寄せてもらったり、ワガママのし放題だった。平日の昼下がりに過ごした、無為な時間の快さは、今考えれば最高の贅沢だったのかもしれない。回想はともかく、山王のいかにも雰囲気のあるアーケード商店街を抜けて、環七の大通りを渡り、(旧)大田区役所の手前にあった最初の大きなT字路を馬込方向に曲ってすぐの、通りの右手にそのお店はあった。記憶では曲がってすぐに袖看板が見えたと思ったのだが。
二間の間口に四枚のガラス戸。正面から向かって右手の奥に番台があって、眼鏡のそこから入ってゆく若造をジロッとにらむ(ように見えたものだ)店主の背中の方に書棚があっていかにも大事そうに並んでいる本をとおくから見ながら、自分の本を探す。いつでも自分のほしいような本が安かったので、生意気にも聞いたことがあった。その返事は「あぁ、そんなのは自分の認める本のうちに入らないんだよ。」というようなニュアンスだった。そうなのかなあ。今でも覚えている〈売ってもらった本たち〉といえば、まず黒岩涙香の『袖珍版 死美人』、『マンク』の明治時代の訳本『ろざりよ』と、バイロンの劇詩『カイン』の木村鷹太郎訳『天魔の呪』。厚紙にから押手彩色の表紙は、まさに工芸品であった。これは二冊ともその価値が判らず、造本の美しさだけで買った気がする。だから、そんな風にいわれても仕方なかったのだと思う。処分した後で由良君美の読書新聞でのエッセイでその価値を知ったのである。多分まだその頃は東京創元社版の二冊本はもっていなかったはずだ。今になってみると、その本の持つ重さは計り知れないものだった。
後、書棚の下二段部分には文士宛の贈呈本の処分だと思うが、私刊本の詩集や文学系の同人雑誌が大量に並んでいて、今でも貴重な資料になっているものがあるし、その中に、原民喜の遺作である『ガリバー旅行記』を見つけたこともあった。挿絵はたしか初山滋ではなかったか。
さらにその後の素天堂に大きな影響を与えた本としては、改造社版『小酒井不木全集』のエッセイ編数冊だろう。箱もない裸本だったけれど、その内容は後で知った『近代犯罪科学全集』とともに、その後の作業の重要な資料であった。それらの本を(売ってもらって)その当時の宿舎に帰るときの、踊るような気持。それが古本人生の最初にして、最大の幸福感であった。だから、暫くして店を訪たら、ハンコ屋さんに変わってしまっていたときの哀しさ、喪失感は本当に今でも忘れられないことの一つであった。
もう最新号ではなくなったが『彷書月刊2月号』を読んでちょっと思い出話など。