満身創痍の本達Ⅱ 『清らかな意匠』谷口吉郎 1948 朝日新聞社刊

sutendo2007-02-25


正月の銀座松屋古書展で拾ったこの本を表題の第二弾として取り上げようと思ったのは、他でもない、今はなき〈二笑亭〉の最も重要な証言者の一人だからだった。〈博物館明治村〉の初代館長であり、〈国立博物館 東洋館〉の設計者としての著者を知らないわけではないが、自分にとっては建築家としての「谷口吉郎」を回顧するつもりはなかった。もちろん、最初に眼にした著書『雪あかり日記(再刊本)』の瀟洒な装幀と、書かれた当時の激しい風潮と一線を画した、凛とした渡独印象記は、自分の中でそれなりの位置を占めていたには違いないのだが。
〈Ⅰ〉の前説でもいったとおり、表題には「忘れられた」本という意味を含めている。今となっては誰も話題にしないけれど忘れるには惜しい、そんな本の第二弾にこれを取り上げようとしたのは、〈二笑亭〉に対する、証言者としての精神病理学者「式場隆三郎」と建築家「谷口吉郎」の微妙なズレが面白かった記憶があるからだった。そんなつもりで稀書、美書のうずたかく積み上げられた会場で、表紙のばらけたこの本を手にとったのだった。
著者による見返しカット
著者による装幀は、昭和二十三年という時代の中で叶う限りの資材を使用した、いかにも著者らしい瀟洒なできあがりなのだが、本文用紙の酸化と、材料の劣化は六十年の歳月を経て、痛々しい。紹介するに当たって既読の「狂える意匠(二笑亭)」は外して、未読の他のエッセイを読み始めた。冒頭の「環境の意匠(郷土美)」は、多分、戦後の市街地にはじまる日本各地の風景の乱雑さを憂いたものであった。

だから、電車のプラットホームから眺められる街頭の「風景画」も、我々民衆の「自画像」である。それは、我々の美術眼を明瞭に暴露している。或いは、その造形的センスをしんらつに風刺した「風刺画」かもしれぬ。『清らかな意匠』8p

その論旨は明確で、引用される出典も多岐に渡り、単なる時局を憂いた雑文ではない。建築家としての使命感と、総合芸術としての建築に対する自負をこめた名エッセイであろう。以下異色の建築構造論「ミカンの皮の意匠(防熱の造形)」、唯一の実作に関するエッセイ「校舎の意匠(幼稚舎)」と続き、さいごの「建築の意匠(建築意匠術・序説)」で閉じられる。「墓」「旗」と著者の〈意匠論〉が展開されたあとの、この〈序説〉と名付けられた小論は、六十年以上を経た二十一世紀の現在でも、重い結論をもって閉じられる。

設計はモラルを要求し、表現は詩を要求する。同書281p

式場の、これも名著『二笑亭綺譚』との読み比べでもと思って開いたこの本だったが、こんな雑文で紹介できる忘れられた本ではなかったし、この著者のあらわす〈意匠〉という語彙については、改めてもっと深く考えなければならない宿題になってしまった。