奥飛騨郡上巡行

連休に旅をしたいというK氏と、こっちへおいでという岐阜市在住の旧友S氏の企画で、踊りの街〈郡上八幡〉へいってきました。行くからにはきっちり廻りたいというK氏の意向をくんで前日の二十一時過ぎに岐阜入り、宿に迎えに来てくれたS氏の案内で、連休中も盛業の屋台風の飲み屋さんへ。東海といえば〈どて焼き〉と意気込む、素天堂の気炎でまずそれを注文。ただちょっと遅いので軽いものをあと二、三点とってあとはコップ酒。結構アッサリしているのでつい飲み過ごし、朝ボーっとなっていたのは自分のせいか。
踊りとも、鮎とも季節を外しているからそんな混んではいなかろうという、地元のS氏の思惑は見事にはずれ、奥飛騨の新緑を愛でようとする、観光の車で高速は大渋滞。結果的には一般道に下りたりで、普段の倍くらいかかったけれど、車窓の景色を堪能できたので、素天堂は大喜びであった。早速、昼食の店を物色するのだが、郡上の街中は既に観光客であふれ、目的の、S氏お薦め食事処は、もう満杯。それでも三軒目、そこそこのお店がタイミングよく、待たずに着席できた。 ゆっくりと食事を済ませて、郡上の水と古い街並を逍遙しました。

お目当ての「慈恩禅寺」は、ありがたいことに、その日は参拝客も少なく、思い通り庭を堪能。とはいえ、拝観もそろそろ増え始め、書院も騒がしくなったので立ち上がり、散策がてら今夜の宿までチェックインに向かう。

今夜の宿は、一日一組しか、お客をとらないという民宿「菊美屋」さん。奥さんと旦那さんの二人だけで切り回して、それ以上は宿泊の面倒が見られないからだという。玄関で大声を出したつもりなんだけど、でてこない宿の人、Sが上がり込んで来意を伝える。なんだかいいぞ、このお宿。女将さんの案内で入り組んだ階段を上がると、二階の洗面所を確認する、なんとその前に書棚があって、美術展の図録がびっしり。とりあえず共用の居間に通されくつろぐと、女将さんの呼び声が階段の下で聞こえる。「ピーちゃん!」。と、部屋に一羽の文鳥が。何とも傍若無人のご挨拶であったが、オヤジふたりが、生き物好きなのを、察知したらしく、お母さんの呼び声を聞きもせずに、男共の肩や腕を遊び回る。ひとしきり看板ムスコと戯れて、夕食まで散歩を再開したが、さすがに疲れて五時過ぎには戻って、ジェットバスで疲労回復。
六時過ぎには、女将さんの呼びかけで下に降りて本日のメイン・イヴェント。郡上の地酒「母情」の一升瓶がおかれ、各人の卓には、蜂の子の佃煮や、アマゴの塩焼き、甘露煮、山菜のお浸し、先付けのすしなどが並ぶ。青竹に酒を注ぎ爐火で燗をする。その合間に、女将さん手作りの果実酒などを勝手に飲み比べ。勝手に評定。地味に盛り上がる晩餐であった。とにかくメニューの量と質が半端じゃないので、その消化に追い回され、うれしい悲鳴を上げつつ、さらにイワナの骨酒に突入。四合は入ろうかという大きな容器に並々と入ったそれを、存分に堪能。最後の締めは、タケノコご飯。もう、部屋に入っての二次会など、とても無理。さらに眠気におそわれ、その日は解散した。
深夜の空雷を聞きつつ快眠、翌朝はすっきりとめざめ、八時の朝食までオヤジふたりはちょっと散歩。朝ご飯は、雑穀飯を中心に、軽くビールを添えて終了。十時までノンビリと休憩し、宿とピーちゃんにお別れ。
腹ごなしどころかお土産やのベンチに座り込んで、次のお目当て「大八」の開店を待つオヤジ二人を後目に、テキパキと歩き回るK氏は朝から折口信夫碑など散策。ちょっと早いがお店に向かうと、もういいとのお達しで、入店。
とりあえず、S氏お薦めのメニューで冷や酒。ねっとりとした味噌に漬けこんだなんぞの肉は絶妙で、朝から酒がすすむ。食事は、飛騨牛の焼肉丼、鰻丼、みそ煮定食。素天堂は鰻だったが、関東の蒲焼きとはちょっと違った調理法が、さっぱりとしておいしかった。堪能して歩き始めたが、もう歩く範囲もなく、K氏の勧めで郡上八幡の駅を見に行くことに。着いたら結構すぐに電車が来そうなので、そのまま、岐阜に戻ることになった。
まだ早いせいか、電車もそこそこ空いていて、美濃太田までノンビリ。体調不良を訴えるS氏を差し置き、二人は岐阜古本行脚に行くことになった。そのあと、G古書センターでの目の血走りや、ルートを間違え、思わぬ遠回りなどがあったが、何とか、事故なく帰路についたのである。