乱歩賞受賞作を凌ぐ傑作 倫敦暗殺塔 (祥伝社文庫)

いわゆる〈プレ『十角館』〉時代の素天堂にとっては、ツヅキ・ツツイの二大作家を除いて、読める作家といえば『写楽殺人事件』をはじめとする、乱歩賞受賞作家の中から選ぶくらいの選択肢しかなかった。とはいえそのすべてが、処女作の方向を持ち続けるとは限らないことも多く、やっぱり失望させられることの方がおおかった。そんな中で、高橋克彦はそれ以降も『北斎殺人事件』『歌麿殺贋事件』の浮世絵ミステリシリーズ?から、伝奇小説群『総門谷』『バンドネオンの豹ジャガー』と、コンスタントにつき合える同時代作家であった。だから、読み落としがあるとは思ってもいなかったのでだいぶ後になってある古書店の店頭で、この本のオリジナル〈講談社ノベルス版〉に出くわしたときは、ビックリした。今でもその時の情景が思い出せるほどなのである。普通、乱歩賞受賞作家は、ほとんど時期をおかずに受賞第一作を、同じ様な体裁で出版しているのが常であり、『北斎』がすこし間をおいて、上下本ででたのも、いかにもシリーズとしての満を持しての発表だと思い込んでいた。だから、受賞から1年半もたって『総門谷』と同時期に、ノベルスでこの作品が発表されていたのを、全く見落としていたのだった。確かにその後の作家活動からは少しルートは違っているかもしれないが、ある意味処女作を凌ぐ作品といえるかもしれない。
本作で描かれるのは、十九世紀も終わりに近い、倫敦塔での奇妙な殺人から始まる三つの死。ジックリと織り上げられた畝の深い織り模様は、幕末から明治への勤王佐幕、双方の苦悩で彩られる。断末魔の幕府にあくまで味方し、維新後に熾烈な報復さえ浴びることになった会津藩士たちとその家族。権力は我が手に握りはしたものの、まだまだ不安定な国体に苦慮する維新政府高官たち。その畝織りの表裏を繋ぐのは、山師臭いオランダ人によって、当時のヨーロッパを接見していたジャポニスム・ブームを当て込んだ日本人を〈見世物〉にする、実態は動物園にも劣るロンドン日本人村の展示と、せせら笑われながらも国際社会に何とか認められようとする、国内での鹿鳴館のバカ騒ぎ。
それらを組み合わせ、エンターテインメントとしての謎として、暗号解読や、ダイイング・メッセージをからませるという大盤振る舞いは、テーマの重さを感じさせないスピード感とともに、この作品を傑作に仕上げている。

素天堂が手にしているのは、講談社文庫版であるが、その解説(関口苑生)に引用されている、初刊本での著者のことば「軽い気持で書きました。気楽に読んでください───とは絶対いえない」の、作者の自負のとおり、最初に入手したときは、勿論骨太のミステリとして充分重厚な手応えはあったけれど、今回の読み直しのような印象を受けるためには、やっぱりそれなりの基礎修養が必要だったのかもしれない。勿論それがなければ解らない、ということはない名作なのだが。たとえばこの物語の重要な背景としての〈会津処分〉だって、その悲惨さを理解できたのは、『小公子』の名訳者の生涯を描いた伝記『とくと我を見たまえ 若松賎子の生涯』を読んだからだった。さらにそこまで幕府に忠義を尽くす会津松平家と徳川家の関係は、みなもと太郎風雲児たち』で知った。
喜歌劇ミカド―十九世紀英国人がみた日本
また当時は名前でさえ、知られていなかったギルバートとサリヴァンの喜歌劇の詳細は、今なら、その全文を見ることができる。それらのすべてが、それぞれ一作の探偵小説を構成するのに十分な材料を贅沢に盛り合わせた、これは歴史ミステリとしての大ご馳走なのである。