塔の子供とキャプテン・ジャック、そしてさまよえるオランダ人。カミ「エッフェル塔の潜水夫」

sutendo2007-05-31

感想が書きづらい本というのがある。何度も読み返しているはずだし、その内容だってその再読に耐える名作なのに。

天を摩す、近代パリの象徴、エッフェル塔に出現する謎の潜水夫の必然性。エッフェル塔の貰われっ子「ファンファン・ラ・トゥール」を巡る人々。パリをはじめとする世界各地に我が物顔で現れる幽霊船「さまよえるオランダ人」とそこに潜む陰謀。その幽霊船に出会う航海に雇われた、不慣れな船長を肩で叱咤しつつ、波にさらわれ英雄的な死を遂げる「キャプテン・ジャック」の壮絶な最後に涙する。謎が謎を呼び、奇妙な陰謀と波乱の恋の物語がユーモア豊かに進められる。と、ここまで書いて、現在入手しづらいとはいえ何度も版を変えて紹介されたこの作品は、その内容の多彩さと、奇抜さ故に素天堂如きのナマクラメスなど歯が立たないのに気がついた。
だいぶ前に、ウッドハウスについて書いたことがあった。その対照に何度も文庫化されているこの作品をとりあげたものだったが、最近の〈ウッドハウス再評価〉でだいぶ風向きが変わった(なにしろあの『マリナーもの』まで登場するらしい)こともあって、へそ曲がりな素天堂は書棚の上から筑摩版『世界ユーモア文学全集第十巻』を取り出してきた。二度もでた文庫版さえ、今では手に入りづらいらしいので。
十数年ぶりの再読にもかかわらず、やっぱり引きずり込まれてしまう。怪奇小説、探偵小説、空想科学小説(解かれた謎の一つなどは、ビオイ・カサーレスの怪作『モレルの発明』の元ネタではないだろうか)、恋愛小説、そして、エッフェル塔を巡るパリの人々の優しい感性まで。それらのすべてを取り込みつつ独自の感性でまとめられたこの作品、もしかすると、本当に面白い本は〈ほんとに面白いんだよ、この本は〉と白痴的な感想を、述べるしかないのだろうか。うれしい頭を抱えつつ、気分を変えて出帆社版『ルーフォック・オルメスの冒険』に方向を転換する。
長新太による洒脱なカヴァー絵の楽しい軽装本で、戦前の白水社版『人生サーカス』の再刊である。脱力感溢れる会話体で書かれるギャグコントの多い『ルーフォック・オルメスシリーズ』だが、唯一小説体で書かれているのが中編『衣装箪笥の秘密』である。
昭和七年『新青年』に水谷準(青柳春之助!名義)によって『処女華受難しょじょげじゅなん』の表題で訳されている通り、当時における〈過剰な処女性尊重〉という風潮を軽やかにあざ笑うメイン・テーマを軸に、奇妙な犯罪、科学技術が入り乱れる奇想小説の原型なのだ。なにしろ死刑囚の脳髄を移植された木によって組み立てられた衣装箪笥が次々に殺人を犯し、最後には衣装箪笥が〈エッフェル塔〉の階段を上っていくという、まこと、奇ッ怪なイメージは、恐怖を通り越して、唖然とさせられる。こんな空前絶後の作品が、出帆社版を最後に三十年以上紹介されていないのはまことにもったいないし、理不尽極まる処遇であるといってもいいと思う。