ルクレツィア再会

sutendo2007-08-11

国立西洋美術館で、パルミジャニーノと会ってきたのは、もう三週間も前だ。無理矢理時間を捻出して「ルクレツィア」に再会した。紅潮した肌と宙空を見据えた眼、胸に刺さった短剣とそれを持つ手。小品ながらもパルミジャニーノにしては破綻のない佳作である。もう一点は素天堂にとっては初御目見得の「聖カタリナの神秘の結婚」(タイトル脇)。パルミジャニーノ・パワーの炸裂した傑作。彼が群像を描くときの癖なのだろうと思うが、メインの人物像を取り巻く、周辺の人物のデッサンが構成に負けてあやふやになってしまうことが多い。それが美術史的に評価の下がってしまう由縁だろう。
もっともそれは、マニエリストの画家たち全般にいえることかもしれない。とは言っても、この人の描く顔。凡百のマニエリストが束になっても叶わない、不思議な魅力がこの顔にはある。幼児(天使)から、老人まで、聖女の最も幸福だった一瞬を捉えて余すところがない。彼女の悲惨な最期は、彼女の身体の下にひっそりと隠されている、黒い車輪であらわされている。他にも同画題の作品はあるけれども、画面一杯に溢れる優しさは、やっぱりパルミジャニーノのものだ。

それにしても、イタリアの街の底力、すべてが超一流ではないかもしれないが、これだけの画家を抱えつづけることのできる街の凄さには圧倒された。常設展では最近力を入れているらしい、十五世紀以前の所蔵品の展観に惹かれた。西洋美術館といえば「モローのサロメ」だったのだが、それ以外にまた、足を運ぶ楽しみがふえた。そういえば自分の中ではずっと「国立西洋近代美術館」だと思い込んでいたのだった。
そのあと、K氏を無理矢理引っ張って、思い出の場所、「東京文化会館資料室」に飛び込み、大田黒元雄の本を引っ張り出し、今回の個人誌の記事の確認をちょっとしたりして、自分を納得させて帰宅しました。