畏怖と羨望 米沢嘉博に花束を 虎馬書房2007

sutendo2007-08-26

ここに一冊の本?がある。刊行はアスキー出版局一九九五年。重要な発行日付は十二月二十五日。マイクロソフトの画期的なWindows95の日本発売の一ヶ月後、それまで電子機器にまったく縁のなかった素天堂が初めて手にしてコンピュータのOSであり、そしてそれがあるから読める本?であった。CD-ROMブック『吾妻ひでおCD-ROM WORLD』。ある時、ほとんどの過去を蔵書と共に切り捨てたことがあったのだけれど、その時も手放せず手元に残した本の一冊なのだった。その不思議な本に書かれた「美少女妄想不条理奇譚彷徨 −吾妻マンガの再生に向けて−」が、多分、今残る素天堂と米沢嘉博さんとのわずかな接点であろう。就学前から手塚漫画に入れ込み、『COM』に驚喜し、まんが情報誌『ぱふ』の愛読へと連なる自分の生涯の大部分は、ほとんどのジャンルにおいてこの方の縮小コピーだったのではないかと思う。別冊太陽『発禁本』において然り、『戦後少女マンガ史』然り、いつでも自分の興味の赴くところに、いつでもこの方の大きな影があった。姿勢の違いばかりとは思えないその大きさは、今になっても変わるところはない。なによりこの本の版元〈虎馬書房〉の名前がその象徴なのだ。文字通り〈ASPECT〉にふさわしい寄稿者の方々に見せていたそれぞれの表情の諸相こそ、この方の大きさの証明なのだと思う。
〈老〉という年齢に近く数回にわたって、彼の遺産の一つである「コミック・マーケット」への参加という思わぬ僥倖を与えられているのも、期せずして、この方の大きな影の下で過ごしてきた自分の一つの結論なのかもしれない。「コミケ」という誰も犯すことのできない、あたかも彼自身のように鵺であり、中心を持たない巨大なアメーバとして、この方の築き上げてきた非体制の象徴は、これからも変貌と変形を繰り返しつつ、増幅を続けていくことだろう。畏怖だって?羨望だって?、彼の大きな世界の数万分の一の世界を生き続けてきたただの一読者にすぎない人物が、どこからそんな台詞を取り出せるものか。