ディアギレフの二つの顔

その名前と同じく、彼は二つの顔を持っていた。セルジュと呼ばれる西欧向けの顔。セルゲイと呼ばせる父祖の地ロシアに向けた顔。可憐なロメオとは雲と泥の差ほどもあるけれど、なんと呼ばれようとディアギレフ(これも本当はジャーギレフが原音に近いらしい)はディアギレフである。もう一昔前(1998)になるけれど、今は無きセゾン美術館で、空前にして絶後なバレエ・リュス展が開かれた。そのカタログは演目別で、取り上げられる作品紹介もそれに習うという画期的なものだった。だから、そこで見られるのは、彼のパリを中心とした西欧での顔であった。シャネルに、ミシアに、コクトーの世界だね。
今回の庭園美術館での『舞台芸術の世界〜ディアギレフのロシアバレエと舞台デザイン』は、彼のおこしたムーブメントが、ロシアに残した遺産を主とする展観なのである。そこで展開される作品群はソヴィエト連邦時代の体制では、表に出てこなかったものだと思う。共産主義と相容れないイデオロギー難民たちの、国の内外を問わない悲痛な叫びが隠されたその作品群は、そのほとんどは各施設の筐底深く埋もれていたものであろう。とはいっても、捨てられていなかったことを喜ばなくてはならない。世紀末のビリービンから構成主義の作品まで、今だから見ることのできる貴重なものである。ディアギレフ自身は、彼の意思にかかわらず、革命後のロシアに帰ることはできなかったし、戦後も長くソ連国内では無視されていたけれども、この展観で、彼の強烈な美への遺志は、彼の国で決して埋もれていたわけではなかったことがわかるのである。ニジンスキーもいいけど、やっぱりディアギレフもいいなあ。色々挿入画像も考えたけれど、今回は画像なし。