街を歩いて −素敵なテキスト−近代小説〈都市〉を読む

あてもない散歩が好きだった。どこかを目標にしているときでさえ、そこへの道筋を一歩一歩辿るのが好きだった。移動手段の交通機関を考えても、飛行機より電車、急行より各駅停車。レールより道路が好きだった。市街電車、乗合バスの、悠長であり遠回りでさえある路線が好きだった。通ったことのない道、入ったことのない路地を選りながら、目標があったとしても、そこへの最短距離が望みではないはずだった。聞こえるのは鳥の声ばかりの、郊外の雑木林の踏み分け道、街の真ん中でありながら、誰一人通っていないように見える喧噪とは無縁の裏路地。そんな忘れかけていた趣味を思い出させてくれるアンソロジーと出会った。
その本は、文字通り、教科書としての〈テキスト〉として作られているのだけれど、そこにある明治初期から昭和にいたる作品は、谷崎の「秘密」から、堀辰雄の意外な作品「水族館」乱歩の怪作「目羅博士」、三島の「橋づくし」まで、街を徘徊する楽しみを再確認できる珠玉の作品群であった。
帝都東京の、浅草、日本橋を二つの焦点にして、作られてきた奇妙な楕円でつくられる街中を、さまよい、うろつく、密かな楽しみを学習できる素敵なテキスト。その変遷が鮮やかに彫りあげられた、ポット出の学生さんたちにはもったいない、名アンソロジーである。
日本橋は日本有数のビジネス街に変貌し、浅草は午後八時を過ぎれば人影もまばらに、瓢箪池も「十二階」も消えてしまった今だからこそ、この本をガイドブックに、小さな地図と照らし合わせながらうろつきつつ、この中に潜められた、教科書としての性格とは裏腹の、毒を存分にかいでみるのは如何だろう。意外なところで、意外な風情に、そう、今だって出会うことができるのだ。