エセ・ルナティーク番外編 少女マンガのBGM(ポップス編)1982.01

 セーラ フリートウッド・マック
 沙羅を英語読みすれば“セーラ”訳詞がないので、意味はよくわからないが、スティ−ヴィー・ニックスのけだるい声は深夜のお茶会にふさわしい。

 魔女の季節 ドノヴァン
 翼狩りの季節は、あの怖い魔女の季節。シタールの音色と高低差の激しい奇妙な曲調はサイケデリックの落とし子。「ブラザーサン・シスタームーン」のナチュラルなサントラを知ってる人には、奇異な感じを与えるかな。

 マリネラ ティノ・ロッシ
 パタリロ・ド・マリネール八世陛下統べるところのマリネラ国の国歌…、では全然なくて、戦前、甘い声とマスクで戦前大人気だったシャンソン歌手ティノ・ロッシのラテンナンバー。ちなみに、ロッシはあの「パースペクティヴ・キッド」のモデルであります。

 ゴジラ ブルー・オイスター・カルト
富沢氏には負けてるけど、メンバーが必死に、日本語でアナウンスをしています。少女マンガとの関係は「イブの息子たち・パート6」を参照。「イブ…」は、ロックの宝庫だけど、ひっぱりだしたらきりがないから、今回はパス。誰かやって。

 Shilver Threads and Golden Needles   the Springfields
 別マ9・10月号にのった、くらもちふさこの小品「銀の糸・金の針」のテーマソング。これが手元にあったので、このシリーズをでっち上げた。ダスティースプリングフィールドなんて歌手知らないだろうなァ…。その彼女が兄たちと組んでフォークコーラスをやってた頃のもので20年も前の曲。日本で発売されたか不明だし、少なくとも素天堂は当時聞いた記憶はない。だけど、ほのぼのとした佳曲。

 スペースマン ニルソン
 彼の名前を知らない人でも、春から夏にかけてキリンライトビールのCMで流れていた「うわさの男」やその曲を使っていた映画「真夜中のカウボーイ」ご存じのことでしょう。ちょっと皮肉な宇宙飛行士の歌です。「星くず色の船」へ向かう海広君へ捧げます。

 アメリカン・パイ ドン・マクリーン
 そのものズバリ、萩尾望都の「アメリカン・パイ」はこの曲がヒントです。1972年の年間第1位だったこの曲は1959年に飛行機事故で死亡した若いロックンローラー、バディー・ホリーに捧げられたものだが、過ぎてゆく夏の時代への鎮魂歌でありました。フラワーパワーにヒッピームーブメント、ビーチボーイズビートルズ。それから秋の70年代も過ぎてしまい今冬へと向かい続ける80年代のはじめに、ドン・マクリーンは再び登場してきました。「クライング」−−20年前のヒット曲リバイバルで…。もっとさむくなりますね、これから。

 グッド カンパニー クィーン
 湿った曲から、一転、パッと行きましょう。「オペラ座の夜」からです。 もちろん「イブ…」の番外編だけど、「イブ…」を読んでたときは、バッドカンパニーのパロディーだと思ってた。知っててつけたんだろうなァ、この題名。と今にして思う。ロックに詳しい人教えて下さい。

 バケーション コニー・フランシス
 ねこがかーいい「草迷宮」に突如流れる60年代サウンド。懐かしいなァ。○年生の時、英語でVACATIONが出た時、クラス全員が答えられた。その教師が、「プレスリーのレコードなら全部持ってる」って自慢してるのを聞いても、全然その意味が分からなかった。そんな時代でした。そう、ザ・ヒットパレードの時代ね。

 イエロー・サブマリン ザ・ビートルズ
 「海にいる黄色い船から君へ」陽気な歌にのせて、小さな恋の消滅と、新しい恋の芽生え、海の底にすむのは、君たちだけではない。夢見るものたちすべてが、オールトゥゲザーナウ。さあいっしょに。で映画は終わる。そう、卒業できない人達は、みんな、イエロー・サブマリンがこなければ、「NOWHEREMAN」でしかないのだから。   ね。志津桜くん。

 アップルパイは恋の味 ジェイとテクニクス 
ナショナルのオーディオ機器みたいなグループの歌ってるこの歌、なんで並べたかというと、原題が「Apples,Peaches,and Pampkinpies」なので無理矢理つれてきた。「パンプキン・パンプキン」にでも引っかけようとかと思ったけど、もう「魔女の季節」でつかっちゃたし。ネタ切れなんだよね。60分テープ両面埋めるのって大変だ。まだ、余ってる。

 ペーパームーン ポール・ホワイトマン楽団
 苦しまぎれに、雑誌の名前をもって来た。まあ、内容もいいし、これを使った映画もお好みだったしよかったよかった。と一人で満足してたら雑誌の名前で思い出した。「Lala means I love you ララは愛の言葉」なんてありました。本当だよ。「ララ」の編集に手紙を出そうと思ったっけ。その曲見つけたとき。としよりは、昔のことの記憶が明瞭になってくるとか、書きすぎたところもありますが、おめこぼしの程を…。

前日の日記「ヒース、わたしを見て」に反応があったので、思いっきりそのまま、「ルナジュモン」発表当時の状態で放り出すことにしよう。
注釈をつければきりがないし、その当時持っていたいた本もレコードも、今は手元にない。内田クンの作品をある程度把握していないと、コメントの意味さえ不明かもしれないが……。これに対して富沢雅彦さんが独自の音楽論を寄稿されていた。