とっても食えない〈蜜の味〉『奇術師の密室』

「マーリニ」も「フーディニ」も、奇術大好き人間の素天堂にとって、この標題は読んでください。と言われているようなものだ。冬コミの大山を越えたところで、いわばご褒美で読み始めた。一瞬で読み終わった(ような気がする)。
一流奇術師の前歴がある、眼と意識のみの植物人間(あのデュマ『モンテ・クリスト伯』にサン・メラン侯爵という前例がある)の父がいる。彼の視点の前で益体もなく繰り広げられる、奇術家一家の技術を駆使した、悪意の応酬にあっけにとられる。他人の不幸という蜜の味を味わう隙もないくらい、せわしなく繰り広げられるどんでん返し。最後は主人公の一人の逮捕で終わるのだが、フーディニを思わせる一流マジシャン親子の書斎で、そこに仕掛けられた道具を思う存分駆使した騙し合い、引っ掛け合いは、いっそ気持ちいいくらいだった。リチャード・マシスンという、いい意味多芸な職人芸の極致であろう。それにしても、七十近い歳でこの濃い作品をでっち上げる創作力には、頭が下がる。どこが枯れているのだ。
これが、例えばヒッチコックの手になれば、あの遺作『ファミリー・プロット』を越える佳作になるだろうなあ。そこには、『ハリーの災難』の素敵なカタルシスはないかもしれないけれど、マシスン自身、ロジャー・コーマンという稀代のケレン使いと、『忍者と悪女』1963で遊び倒しているのだから、多分、いい遊びとしての、コン・ゲームをつくり上げたつもりだろう。作者は「アメリカ風愛の悲劇」なんて言ってるが。