中井英夫「黒い水脈」と塔晶夫「日本の異色作家」

『虚無への供物』との出会いはご多分にもれず、一九六九年の三一書房版である。もっとも、読了後、興奮して話していたら、兄が初版の読者で、自分もそれを読んだという同級生がいたから、決して、著者自身が言うような、黙殺された存在ではなかったのではないか。
一九六四年に出版された早川書房の『異色作家短編集第十五巻 嘲笑う男』の月報に、小文「日本の異色作家」が掲載されているのも、同年二月二十九日! の講談社版『虚無への供物』刊行によって依頼されたものではないだろうか。作者自身でつけたとは思えない散文的なタイトルだが、塔晶夫としての数少ない業績の、重要な証左ではある。また、各版の著者コメントを再掲した講談社文庫版あとがきには割愛されたけれど、比較的長文の、講談社版『現代推理小説大系別巻1中井英夫1973』所収「黒い水脈」も、当時における中井の重要な探偵小説論であった。
とくに、「日本の異色作家」は、既存の文壇と訣別し、まだペンも持たない、後続の新しい作家達への心からの呼びかけではなかったか。「異色作家短編集」というジャンルを問わない、水準の高いエンターテインメント集成を、我が国のそれに引き比べて語ろうとする、語調は戯文めいてはいるが、背後に潜む同世代作家に対する絶望感は、深い。
末尾に添えられた、

それは案外に近いような気もするのだが、三期十八冊のこのシリーズが完結し、そして十年ほどの歳月が地下深くその魅力を滲透させたあとに、戦前の天才たちに劣らぬ本当の異色作家が、かならず登場してくるに違いない。たぶんそんな一人は、いま高校あたりでホームルームのお喋りに興じ、バスケット・ボールにいそしみ、化石を掘り返したりしていることだろうけれども。同書月報

後世への熱い期待は後に雑誌『幻影城』や同人『幻想文学』などでの結実に、確実に繋がっていくのである。
塔晶夫『虚無への供物』、そこで使われた〈アンチ・ミステリー〉のひとことには、反世界、反現実への渇望が含まれなければならない。易きにつかないごく少数の選ばれたものにとっては、現実のダダ流しを喜ぶ、凡俗の無視と冷遇は、賞賛の意の現れだったはずだ。
三大奇書〉という、手垢にまみれた、奇妙な形容の起源を探そうと思いつきながら、結局塔晶夫礼賛論に終始してしまった。ただ、もういいのではないだろうか。手放しの賞賛が、その存在に対して与えられても。『虚無』はいつでも『虚無』であり、『黒死館』はただ『黒死館』であり続けるだろう。「黒い水脈」に関してはついに触れることが出来なかったが、中井による探偵小説論の、後続に与え続けた影響については、また別の機会に取り上げることにしよう。