非A感覚的足穂遭遇 沈丁花の花の香

猟書癖は、飢餓感から根付く。名前だけ、項目だけが自分の前にあって、それについての本がない。その人の作品がない。本は巷に溢れているのに、なんだか、自分の読みたい本だけがない、感じがする。病理学的にはそんなものだろうが、実際に行動して、町中を探し回るようなことをするのは、100人に一人、いるかどうか。読まなきゃいけない本なんて、この世には存在しない、が持論のくせにいつでも自分が読まなくてはいけない本を探し続けている。そんな病気が、重篤になったのは、多分、乱歩と、足穂の所為なのだ。ここここで、その辺のことは日記にしているし、改めて書くことなどありはしない。ただ、『ヰタ・マキニカリス』以後、最初の公刊本作品であった徳間版『少年愛の美学』との出会いには、高校最後の、あの時期の思い出と重なるものがあるのだ。
高校時代の体育教師の言葉じゃないが、辛気くさい文学少年だったから、とにかくもてない時代だった。思い出したくないことばかりが、その現実生活には詰まっていた。そんな少年が、卒業間近のある晩、当時住んでいた町の喫茶店で、ヒョンなことで知り合った三才年上の女性と付き合うことになった。なんだか、自宅で同棲していた彼氏が出ていったらしいのだが、その話を聞きながら書いていたメモを読ませたのが切っ掛けだった。まあ、当時としても目眩かないつまらないあれこれながら、不慣れな交際が一月ほど続いた。でもねえ、今なら考えられない、深夜の環八道路上での抱擁なんて言うこともあったんだけど。今考えても、普通のお姉さんだったし、今では、きっと、孫の二,三人はいる、いいおばあちゃんになっているだろうが。そんな非足穂的交際に、生意気に飽きがきていたとき、彼女の方が「髪を切れ」といってきた。その頃の文学少年なんて言うのは、写真がないから幸せだが、今では恥ずかしくて見せられないような格好をしていたものだから、普通のお姉さんとしては、普通に言ったのかも知れないが「髪を切ったら、また逢おう」といわれた、その瞬間、そのお姉さんとの交際は、自分の中で終わっていた。ちょうど夜中の邂逅が続いたのが二月から三月だったから、素天堂の中で、沈丁花の花の香というのは今でも、ちょっと甘酸っぱかったりする。まあ、感慨も何もない別れだったのだが、その帰りに寄った地元の本屋で手にとったのが、その日、出たばかりの『少年愛の美学』、亀山巌装幀のあの本だったのである。少年は、結局自分の世界に戻っていった。それも、四十年前の話だ。探し続けていた作家との出会いの思い出が、とんでもなく、かっこわるい昔話に変わってしまったが、その通りなのだから仕方がない。