水を差す

sutendo2008-05-09

こんな本が出た。あちこちで話題にもなり、素天堂としても無視できるはずもないので、近隣の新刊本屋へ、自転車を走らせた。解説は澁澤龍彦。もう一人の方は存じ上げない。テキスト的には古典でもあり、過大な期待はしていなかったつもりだが、新しく出る本では解説等のいわば付録が大事だ。そんなわけで、澁澤の解説といえば、七十年代初頭の桃源社版当該書、初版発表の以来、作品に対する名解説として揺るぎがない。それを目玉にしたとはいっても、それ自体はいくつもの現行本で眼にすることが出来る。とすれば問題はテキストだが、これが半世紀以上前に、同書肆から発行された作品を底本にしているという。冒頭の本はその画像だが、たまには、箱と本がそろっているときもあるのだ。
例えば乱歩作品などでも、刊行書肆の事情によって底本の違いからテキストの異同が存在するのは、比較的知られている事実である。然し、教養文庫版、創元版探偵小説全集本、と個性的なテキスト編集が行われてきた現在、後発の新刊としてそれらの業績を、どう生かしたものだろうか。一見して、どうもその形跡はなさそうだ。また、各所に挿入された重要な説明図版もあまり鮮明でなく、覚えのある底本から複製したもののようである。
教養文庫版によるインターネット本さえあり、旧活字本としてのHPB、真摯なテキスト編集で定評のある創元版が現在も流通しているとき、売り物の個性が、相も変わらぬ〈大活字で読める〉だとするなら、あの十二星宿図をあしらった素敵なカヴァーデザインにも関わらず、魅力が感じられなかった。とはいえ、一癖も二癖もある既刊本からすれば、素直に新しい読者の目にとっては、大きな活字こそ待ち望まれていたのだろうか。うーん。
戦前から、海外文学に対する姿勢では素天堂に感嘆を与え続けてくれたこの書肆だからこその、いわば、折角の新刊発売に水を差す苦言まがいなのである。