viviangirls が動いた!だけではなかった

世田谷美術館パラレル・ヴィジョン展」1993での衝撃の出会いから、作品社の『ヘンリー・ダーガー非現実の王国で』2000刊行を経て、去年の夏の原美術館から約一年。もっとも映画公開は二ヶ月前だから約半年か。これまでは、ほとんどが絵画的な経験であったが、この映画で初めて『非現実の王国』の世界とダーガー、彼自身に触れられたように思う。
渋谷センター街の喧噪、スペイン坂という奇妙な小道に面した小さな映画館で私達は彼に出会えた。周到な準備と、〈大家さん〉キヨコ・ラーナーの協力によってこの小さな映画が私達にあたえられたのだ。社会的な交流を、社会から絶たれ自分からも絶っていた、彼を描くのに〈大家さん〉の協力がありながら、五年かかったという。その孤独感をどれだけの形容を使ったとしても、私達には語り尽くせるはずがない。でも何とか表現しなければならない、という熱意がこの作品のあちこちからにじみ出ていた。
存在自体が奇蹟のような、たった一人の友人との離別の果ての死に面して、彼の残した「まるで人生のようだ」という悲哀の表現は、その言葉通り、彼の人生に対する実感だった。失われた少女のポートレートを求めての必死の交渉、そして晩年までくり返された養子縁組への執拗な執着は、彼と現実との数少ない対峙関係だったにちがいない。すべてを拒絶され、疎外され続けた現実と裏腹に、若い彼の内部に発生してきた『非現実の王国』こそ、彼の生涯を支えた〈本当の〉現実だったのだろう。だからこそ、そこにはいつでも彼自身の、現実からの攻撃に対する反応が〈リアル〉に反映されている。その軌跡を彼の残した日記、回想録とかさねあわせることで、この映画は丹念にたどっている。
生き続け、創り続けた彼に対して、生温く〈妥協の生〉を生き続けなければならない私達は、どんな言葉を彼にかけられるだろうかと思う。それでも彼は、私達を許してくれた。〈大家さん〉が発見した彼の一生をかけた彼の人生に対する感想に対して、彼は「遅かったよ」の一言を返したという。それこそ、彼が私達に委ねてくれた〈彼の世界〉の引継の言葉だったのだ。彼が生涯を賭して創り上げた『非現実の王国』は、現実との妥協などする余裕さえなかった、「人間」本来が持つ表現に対する純粋な欲望の発現なのだから、私達は、彼の、幸いにも残してくれた彼の全人格を、大事に大事に保存し、顕彰し続けなければならない。
見終わって、予告も、無駄に長いCFもなく、本編だけを私達にあじあわせてくれた小屋のみじかい階段を上がった時、私達はまたスペイン坂の喧噪の前に戻されてしまった。その瞬間の戸惑い。

最後に、可憐なる viviangirls を動かしてくれた制作者の努力に深甚なる敬意と、感謝を捧げる。動いてこそのダーガーなのだ。