名前も判らない

遅い晩飯の仕度が終わって、とりあえず芸術劇場にチャンネルを合わせる。久し振りにバレーの録画だ。東洋風の魔女っぽいシーンに惹かれて見始めるが、当然、題名など判らない。なにせ、二十年来とはいえ、TVモニターでしか見たことのないインチキバレエファンなのだから。
芸術監督が牧阿佐美だというこのバレエ劇場を垣間見る初めての機会だ。客演の外人ダンサーのソロに一も二も無く喜んでいた頃とは、たしかに段違いかもしれない。コール・ド・バレエの少女たちの愛らしさは、嬉しいことに、ズーッとミーハーとして見続けてきた素天堂にとっては、何よりの贈り物であった。これがいかなる成熟なのかは、いい加減なバレエファンである素天堂には分かるものではないけれども、幕間に登場する彼女たちの堂々たる様は、ズンドウ短足を呪いつつ西洋の紛いに入り込むしかなかった、彼女たちの母の世代とはあからさまに変わってきていた。君たちは、充分に美しい。君たちの母さん達の世代がどれだけ呪った体型を、君たちは難なく乗り越えているのだから。この群舞の美しさを表現できた時、演出家はどれだけ嬉しかっただろうか。この会場の拍手も観客達の身びいきでなく、古いバレエの楽しさが自分たちのものとして、感動的に分かるようになって来たからなのだろう。そうか、これが『バヤデール』なのか。