構想力と構成力

sutendo2008-10-05

mixiから叱られたからではないが、久々に更新する。『幻影城の時代』の増刊についてとか。ネタがないわけではないのだが、何となくご無沙汰していた。まずは木場公園の毎年恒例あの樹の香から。この樹としては大木であろう。この樹の魔力のせいだろうか、mixi仲間に新しい内田ワールドが拡がっているようだ。
昨晩は、美学校で松山俊太郎氏の「ほぼ月例 特別講義」に出席した。いつもは内容が高度すぎて、ほとんど反応出来ないことが多いのだが、今回は見出しのタイトルで響いてくるものがあったので、ちょっと書いてみる。とはいえ、松山さんの話してくださる百分の一も再現出来るわけではないが、内容が絵画について触れたので。
自分の作品の中で、世界を描く際の構想力を日本人はほとんど持たないと言う例の一つに、超現実主義を挙げられた。ダリや、その淵源としてのボッシュブリューゲルがその作品の中に描く〈世界〉を造ろうとする能力の高さを挙げ、それに対して、日本人はその作品にほとんど世界を構成する気持がないこと(言葉を換えればその能力を持たない)を挙げられた。
「海」
日本人の中で、世界を造ろうとする意識を持った数少ない画家として、古賀春江を出された時、何故、自分が特別にその絵描きが好きだったのかがわかったように思った。古来日本の画家達は、その作品の中で、自分の世界を構成することに腐心してきた。勿論それ自体を否定することは出来ないが、

ボッシュの『快楽の園』や

ブリューゲルの『狂女グレーテ(悪女フリート )』
で、如何に現実にはあり得ないものたちを、彼等は造り上げようとその能力の全てを注ぎ込んだか、松山さんのおっしゃる通り、この構想力は、日本人には到底真似出来ないものだろう。
と言うわけで提供者の抗議により再掲する、前回よりちょっと大きめなボッシュのフィギュアたちである。