新潮文庫とはいっても

どんな関係を求めてか、素天堂と吸血鬼を組み合わせたキーワードの検索が現れている。前にも恥をさらした通り、吸血鬼に対する素天堂の興味などは、まこと、通り一遍のものに過ぎない。何にも出てこなくてもご勘弁をと言う所であります。その間に新刊書店なり、ネット通販で大急ぎ、これなど購入された方がどれだけ有益?であろう。言葉が滑って、〈有益〉などと口走ったが、株価乱高下に右往左往するこの御代に、『ゴシック名訳集成 吸血妖鬼譚―伝奇ノ匣〈9〉 (学研M文庫)』なる大時代なアンソロジーにどんな〈益〉があるのだろうかと思われるかもしれない。
山本タカト氏の艶麗なカヴァー絵に始まり、幼稚園児のお弁当箱に匹敵するその厚さは、同シリーズ前巻『暴夜アラビア幻想譚』には、負けてはいても、珠玉煌めくゴシック・アンソロジーであった『西洋伝奇物語』を遙かに凌いでいる。小日向定次郎、大和資雄の大英文学者による古典ともいえる吸血鬼詩から始まり、佐藤春夫芥川龍之介による絶品の収録、しめる所は横溝正史によるモダン・パロディの翻訳という、目配りの確かさと選ばれた作品の品質は、前二巻に勝るとも劣らない。種村季弘編纂の薔薇十字社版『ドラキュラ・ドラキュラ』にまごう作品群であろう。
しかも京都方広寺の鐘銘「国家安康」の例に倣ったか、吸血と鬼の間に妖の字を入れ込み、最古のゴシック本翻訳「新造物者」を入れるという力業のサープライズこそ、アンソロジスト・ヒガシの面目躍如の由縁であろう。たった三年半待ったくらい、何程の不満があろうか。下手すれば軽装の雜書籍が二冊買える、この値段だって、大量に復刻された明治、大正の挿絵の素晴らしさを見れば、賞賛こそすれ、だれが文句を言えるだろうか。明治時代の雑誌掲載、しかも掲載誌の廃刊による中断という憂き目にあいながらも、こうやって百年を超える時を越えて発掘される幸運もある。前回に続いて、発行元「学研」の英断を顕彰したい。
本当に沢山売れてくれるといいな。
ところで芥川訳「クラリモンド」である。解説には、いとも心やすげに〈新潮文庫版〉と書き流しているが、この〈新潮文庫〉実はそうはお目にかかれない体の〈新潮文庫〉なのである。堀口大学訳ポール・モーラン『夜ひらく・夜とざす』で奇妙な大型〈新潮文庫〉の話をしたけれども、それ以前の袖珍本ハードカヴァーの第一期〈新潮文庫〉なのである。当時の、いわば新潮社系文人を集い、満を持して立ち上げた企画だった。

創刊以来海外文学の翻訳を主としたラインナップで、さぞや大正期文学青年の紅涙を絞ったものであろう品揃えである。そんな中、第十編であるから、トルストイ『人生論』、ゲーテ『ヱルテルの悩み』などと並んで最初期の発行物に入っていたのが、久米正雄訳ゴーチエ作『クレオパトラの一夜』1914だった。帝大英文科在学中であった久米の唱導で編まれたと思しい、瀟洒な短編集ではあるが、翻訳の経緯のせいかその後再刊の様子はない。幸い『クラリモンド』は芥川自身の、愛着もあったようで、名義を変更して今日に至るもこのように読むことが出来るが、標題作ともう一篇は、幻のままである。

それ以降、ゴーチェの作品は、戦後の田辺貞之助訳『モーパン孃』までは新潮文庫に入っていないから、いわば奇蹟のような出版だったのである。
道ならぬ恋に踏み迷う、永遠の性を生きる吸血鬼、クラリモンドの妖艶さ、かわいさは他の追随を許さない。やっぱりゴーチェである。それにつけても、ゴーチェの書く男は優柔不断だな。