久しぶりに、混沌の……

sutendo2008-11-16

毎日の休憩時間を近隣の公園を漂いつつ、兎や鷺を追い回す日々。

虫太郎の何かを追いかけ始めるとかならず巻き込まれるのが、この世界である。とにかく、何かを書き始めなければならないのだが、取りあえずキーボードに向かい、資料を開いても虫太郎の世界が見えてこないのである。抜き出した本文や、辞典を持ち出してはいるのだが、目に付くのは、獲物を追う鷺や、作業車の下でくつろぐ兎たちなのである。

そんな最中、いつも飛び込んでくるオークション・アラートで、ある古書肆の発行した小冊子全揃いの案内だった。「吾八ぷれす」名で刊行された種々の豆本の出版案内をはじめとした内容だと思うが、いまそんな宝物を手にする余裕はないし、それを保管するスペースさえない。ただそれを見た瞬間、いつもの発作である既視感に、一瞬襲われた。奇妙なヨーロッパ映画が日比谷の映画街でロード・ショウー公開されていたあの頃に。
70ミリの大画面劇場、有楽座で「王女メデア」(1970)の大行列で大看板を見あげ、タップリとしたあの座席で「フェリーニサテリコン」(1970)を見たあの時に。あの頃は、ロードショウで、ああいう映画を見ることが出来たのである。チケットショップで前売り券を買い、映画を見に行く楽しみを思いだしたのである。映画産業も大きく変動してしまい、日比谷の映画街も様変わりし「有楽町 ギャラリー吾八」も、神保町にところ替えをしてしまった。
それの隣にあったのが、今では大きなショッピング・モールに変わってしまったあの映画館である。その頁の一番下、「日比谷映画」の入っているビルにそれはあった。貧乏高校生には敷居は高いが、ユッタリと並べられた版画作品や、豆本は美術初心者にとってはとても手は出せないが、眼で観ることの出来るいわば常設展のような夢の店であった。その後、神保町では「吾八書房」と名を変えたが今ではその店もない。今、ネットでその存在を語ってくれる人はいないようだが、こんなところに、その時代の証言があった。そしてもう一つ群馬県水上町から「マッチ絵の家」管理人さんの履歴から。
ところで、2つの映画の題名だが、初公開時には間違いなくこのタイトルだった。何しろ「ロシアより愛をこめて」の公開時タイトルが『007危機一発』だった頃なのだから、どうかダサイと言って突っこまないでください。