薄いが、重い  『グラウンド・ツアー』藤森照信著

ここで約束したこの本の感想だが、それは、タイトルの2語に尽きる。瀟洒なデザインとなめらかな表紙、縦長のサイズの持ちやすさから思わせる、ガイドブック風の内容の軽さは全くない。中谷編集長による的確な突っ込みと、著者藤森の建築への視点が巧みに、従来の偏狭な建築観を突き崩していくロング・インタビューの様は読み進んで心地よささえ覚える。
まず『泥モノ』で人の手しか使えない原初のヒトと建築の関係に遡り、次なる『石モノ』で、ヒトと観念との関係に思いを巡らす。今まで考古学の分野でのみ語られてきた、これらの関係を初めて建築の流れに取り込む手法は、その初期に、消えモノと蔑まれてきた、路傍の「看板建築」に光を当て、見捨てられつつあった(現在でもその傾向は弱まりこそすれ、消えることはない)近代建築への視点を変えさせた、著者藤森の思考の流れを感じさせる。建築史における、大きな隙間を埋め続けて来た著者の、最大の挑戦なのではないだろうか。
さらに『積みモノ』で本来の建築史に踏入ながら、いわば主流のギリシャ、ローマからゴシック、バロックにはほとんど目を向けない。ヒトと建築の関係で、大きな転換点になったロマネスク建築から、様式として成熟してゆく建築の源流を見極めてゆく。初期のキリスト教との絡みで、今までほとんど無視されてきた、アイルランドや、スカンディナヴィアでの教会建築が取り上げられるのは、至極当然なことだろう。
いわば、これによって初めて、あり得ないケルトルネサンスの傍証が明らかにされているのだ。
著者はここからまた原初のヒトの世界に立ち戻る。何故、建築には、インテリアが存在するのかを、『地底モノ』で穴居時代にまで遡って、検証してゆく。自然とヒトと建築と、住まわなければならない建築と、集い、敬うための建築と、建築という言葉でくくられながら、全く用途の違う存在の始源を、藤森は、ラスコーやアルタミラ、日本の縄文以前の住居から解きほぐそうとする。著者の建築観からすれば、ここで終わっても良いようなはずだが、じつはもう一冊ある。
但し、この巻は、素天堂的にはもうちょっと考えてから、あらためて感想を書かねばならない。それは『ふしぎ発見』的見方と、大昔に読んだある、未完のエッセイ・シリーズとに関連してくるからだ。