原初と幻想は似ていて違う 『グラウンド・ツアー』UFO篇

この巻で、「三仏寺投入堂」がリストに上げられているのを見て、大昔のある雑誌を思いだした。それと一緒に、緒に就きかけた自分の作業のことも思いだした。あり得ないはずの架空の建築様式を求めてさまよいだしたあの頃のことだ。
雑誌名は『建築』。身も蓋もない普通名詞で検索自体を無意味化させる、ここでも書いたが、その雑誌はしかし、建築を実務とすることのない、いわば門外漢にとってはまことに魅力的な雑誌であった。一例をある古書肆のリストから抜くと
建築 154 1973年7月 異形の建築2・輪廻転生の建築・栄螺堂・毛綱モン太・ 石山修武, 青銅社
こんな項目が登場する。建築とは最高度に実用物であり、建築における幻想とは、建てられなかったモノの中にしか存在出来ないと思い込んでいた素天堂にとっては、彰国社幻想の建築』や鹿島出版会SD選書『幻想の建築』などの奇妙な書が拠り所であったから、実際に建てられた、建築の系列から大きくはずれた、それらの建築に、思いっきり脳天を打ちのめされる感動を覚えた。彼らによって語られた、今はなき「屑屋城」の衝撃は、実在する幻想という奇妙な眩暈に、見た時の写真図版そのままが焼き付いているくらいなのだ。
然し、このUFO篇は実は幻想を語ってはいない。バーナード・ルドフスキーの『建築家なしの建築』で語られるような、ヒトと建築の原初に遡る絶対的な関係に辿り着いているのではないか。考古学や、民俗学の手法は借りなくてはならないにしても、本来建てられてしまえば、建築は現実なのである。限界を超えて、あたかもヒトが建てたように〈見えなくても〉それは人間がいなくては成立しない。リアリスト、建築家としての眼差しが、ここには確固として存在する。だから、失望するのだ。リストを見て喜んだだけのエセ建築ファンでしかない幻想マニアは……。反省。