忽驚 理路整然 『異端の畫家』森口多里 日本美術学院 大正九年刊

初めて見た手の切れそうな彼のイラストは、雑誌『Yellow Book』の表紙の単色版だった。

今は手元にない本を検索してみると、その雑誌は『SD 25号 特集・世紀末芸術再発見』1966年12月だった。あとで見付けた、『美術手帖 特集: アール・ヌーボーと現代』1965年6月(この号の表紙は、ビアズレーの作品「Isolde」をデザインした美しい物だったと覚えている)とともに、世紀末美術初心者の当時の高校生にとって、唯一の参考書であった、高階秀爾紀伊國屋新書『世紀末芸術』 1963を補完する、重要な情報源であった。そこで見ることの出来た初めてのビアズレー(当時はこう表記されていた)は、絵を描き始めた生意気少年を、いままで見たことのないペン画の世界に引きずり込んだ。当時、まだトナーでベタの表現ができないコピー機で複写して大事に持っていた覚えがある。
そのビアズレイたちを大正時代に紹介したのが、この本だった。内容が充実しているのは前回も書いた通りだが、その後熟読して、単なる興味本位に画家を集めた寄せ集めの評論集ではないことに気づかされた。ビアズレイ、ロップスを語るのにボードレールを援用し、心の闇を具象化する彼らの手法を的確に受け止めている。それ以降もムンク、ホイッスラーと彼らの技法と書かれるテーマを検証し、森口は、取り上げた作家たちが、あくまでも心の内部を凝視して幻想として抽象化する作業を、それぞれの感性と時代の流れの中で行っているのを発見する。
それに対して画界の主流を占める印象派、外光派が表現としては新しくとも、実はあくまでも現実肯定のくびきから逃れていないと読み解いている。
文中に頻発する〈霊〉〈神秘〉〈幻想〉という言葉は、大正デカダンスの空気を存分に吸った当時の先進的な若者が、新しく発見した心の世界を表現するための重要な語彙だったのだろう。
冒頭に書いたように、彼の取り上げた作家たちは、実に半世紀も経ってからやっと再評価がされてきた。自戒を込めていうのだが、同時代の画家について語るのは難しい。同じ空気を吸っている時に、その作品を見る眼が正しいかどうかを見極めるのは難しい。一九二一年というその時に、彼等を取り上げ的確に評価した森口の眼力は凄まじく、当時の最先端であった、多分評価さえ困難だったと思われる、抽象派の源流、カンディンスキーの論文の紹介は、絵画に音楽的構想を持ち込んだ、ホイッスラーから始まる森口の美術に関する論理の、当然の帰結であった。
絵画によって精神の内部を表現するには、最終的にはリズムと色彩であることを、その当時から見抜き、その論理が実は似ても似つかぬかに見える、世紀末美術の中から造り上げられてきた流れがここで明らかにされている。それが正しかったことは、ここには登場しないがあとから知られた世紀末の巨匠、モローの晩年の作風や、クリムトの画風の変遷からも証明されよう。
実は二編、未来派について書かれた貴重な証言があるのだが、なんだかおざなりで他の画家たちとは浮いてるように見えたのだが、それも道理、森口の美術に対する感性と、機械重視の未来派とは、到底相容れない物があって、書かれた内容にもそれがあからさまに出ていたのである。