『乱れからくり』の衝撃

泡坂妻夫氏がなくなられた。泡坂さんといえば、雑誌『幻影城』を忘れるわけには行かない。
と書きかけたところで、本多正一さんからお通夜でのことをご報告頂きました。ほとんど突然死に近い御状態での逝去であったご様子で、ご家族も驚いておられるとのことでした。舞台に立っていないからアマチュアであった、マジックのオーソリティ、泡坂さんらしい見事なサープライズ・エンディングと言ってもよいご最後だったそうです。 合掌。
本多さんもおっしゃる通り、昨年末の『幻影城の時代 完全版』はこの時点で、タイトル通りになってしまいましたね。
さて思い出話に戻ろう。
こちらの日記でも度々書いている通り、『幻影城』創刊当時の推理文壇に敵意さえ抱いていた素天堂にとって、〈この雑誌なら、自分のしたいことを判ってくれるかもしれない〉という思いは、この雑誌の「新人賞募集」で、極限に達した。勿論したいことと、できることは違っていた。のは、今でこそ痛感しているが、その頃は〈したいこと〉で頭は一杯であった。程度こそ違え泡坂さんや他の『幻影城』でデビューされた方々も同じように思っていらっしゃったのは、『時代』での泡坂さん自身の言葉通りである。
自分自身の「黒死館建築構造学 序説」は、名前こそ大層だが、結局力足らずで不完全なものにしかならなかった。それでも編集長をはじめとする、迎えてくださった方々のお言葉があったからこそ、かたちを変えてここまで続けられてきたのだ。
その第一回の小説部門で佳作を取られたのが泡坂さんだった。入賞された方の作品は印象になかったが、『亜愛一郎の狼狽』に収録された「DL2号機事件」の奇妙な味わいは今でも忘れていない。泡坂さんはもうご自分のスタイルをお持ちで、最初の刊行本『11枚のとらんぷ』でも、全体のストーリーと共に、書籍としての構成にも凝っておられた。その本のあとがきが先日亡くなられた二上洋一さんであったのは、何とも奇妙な偶然ではないか。
二作目は、カヴァー付き上製本になってからの、『乱れからくり』。解説は中井英夫。評者に人を得て、デビュー間もない泡坂氏のプロフィールが素晴らしい。
建築に関わる小説を手当たり次第に読み漁っていた当時、この奇想と機巧に思わず仰け反ったものだった。妙にぎこちなく思えた連続犯罪の流れが、徐々に収斂してゆく先は、からくり迷路にねじ屋敷。からくり=トリックとしての犯罪それ自体は、日本人の作品では読むことができないと思い込んでいた、見事な〈奇形の精神〉の表象であった。本作を読んだ瞬間、打ちのめされたようなショックさえ覚えたのは、当時書いた殴り書きのメモに残っている。
派手な容貌と、奇妙なパフォーマンスで素天堂のお気に入りだった、クロースアップ・マジックのふじいあきら氏は、『大江戸奇術考』の著書もある、泡坂さんの奇術界における業績、厚川昌男賞の一九九六年第九回受賞者だそうだ。あのちょっとグロテスクなパフォーマンスはいかにも、泡坂さん好みだったのだろう。