逆遠近法という考え方

錬金術占星術などは)いかさま詐術か、さもなければ、誤った科学(「疑似科学」もしくはpseudo-science)であることになってしまう。そして、そうしたものをはびこらせた中世の「非科学的」な思想性が、厳しく問われもする。自然選書版172p
現在の科学思考水準が歴史的に最高水準であり、過去の業績はそれに対する功績でのみ評価され、十九世紀以降のいわゆる近代科学の水準に適さない分野は無視して切り捨てるか、謬説として退ける考え方が主流である。いわば、科学年表的思考である。著名な歴史上の人物でも、ピタゴラスのオカルティズムやコペルニクスキリスト教神学、ニュートン錬金術などがそれに含まれる。

講談社学術文庫もあり)で批判される、現代から過去への単一方向視点である。
古代科学に対する現代の平均的見方は、ほとんどこの通りであろう。それについて、村上はこう反論する。
しかしすでに見たように、錬金術は精緻に仕上げられた知識体系であり、それなりに整えられた形而上学をもち、そこに組み込まれたさまざまな知識は、当初、単なる護符やまじないの如き、民間の俗信的な神秘主義とは根本的に異なる、明澄で、合理的で論理的なものと受け取られたのである。自然選書版172p
そんな風に考えてみると、科学ばかりではない。美術、文學等でもある歴史的な作品を取り上げる時、現在の芸術観や知識、描写技法に照らして評価、批判が行われることがある。
それほど、大上段に振りかぶらなくてもといわれるかもしれないが、素天堂のようにたった七十年しか経っていない作品を弄っていてさえも、その傾向からの干渉を受けることがある。例えば、医学用語でいえば、「頭蓋のサントリニ静脈」SML304pという用語は、現代では〈前立腺周囲の血管(サントリニ静脈叢)〉として通用していているのだが、虫太郎の使用するように脳髄内部にも同名の部位が存在することは現在では確認することができない。だから、虫太郎は間違っている、という指摘を受けたことがあった。然し、素天堂が参照した戦前のある資料には

Santorini,Giovanni Domenico(1681~1737)ヴェネチアの解剖学者。脳、静脈血行、横隔膜、顔面筋、喉頭、及び卵巣について記載した。頭蓋の導血管(Emissaria Santorini)……は今にその名を冠してゐる。   「西洋醫學史」小川政脩 眞理社刊

とはっきり書かれている。科学分野、特に医学などでは、いわゆる日進月歩の常識から、古びた用語や使用法を類推することさえ困難な場合があるというのは、この例からでもおわかり頂けるだろう。その時代の文化を検証するには、やっぱりその時代に則らないわけにはいかない。〈逆遠近法〉的思考が必要なのである。
何でこんな事を言い始めたかというと、K氏の作業中の「古代時計室 い」の項に、「イスラエル・コーエン」という人名が登場する。それを調べても具体的な伝記や業績が上がってこない、あまつさえ英文のサイトでは実在さえ疑問視されているというのである。
ちょっと待ってくれということで、混沌する書棚から、こんな本を引っ張り出した。

『猶太人の世界征略運動』である。著者の酒井勝軍さかい かつときは、日本にもピラミッドはあるとか、日本人と猶太人とは同根であるとか、その所論に関して色々取り沙汰されている人物であるが、この書は彼の初期の業績で、日猶同根に関する飛び抜けた巻末のまとめ以外は、比較的キチンとした猶太人に関する通史なのである。現在の流布されている猶太史が、ほとんどナチによるジェノサイド以降なのは当然だが、そんな中で、「(戦後は偽書と断定された)シオン議定書」の紹介も含めて、戦前の通俗的猶太観を見るのにはありがたい書なのである。そこで三回も登場し、著書も引用され、「名望殊に優れたるイズラエル・コーヘン」とまで言わしめているその人物は、現在に置いて検索も難しい存在になっている。まさか、村上陽一郎氏も怪人酒井勝軍と一緒にされるのは迷惑かもしれないが、逆遠近法的思考の見本として、どうかお許し願いたいものである。