本を買う心理vs本を売る心理

長い間、本は買うものであって、自分が本を売ることはなかった。いっぱい買える本屋さんがいい本屋さんだった。自分が欲しい本が何時いってもあって、あれもこれも沢山買えるとニコニコして出てこられるお店があれば幸だと思っていた。ところが、買う側の心理として、本屋さんの品揃えが自分とあまりに波長が合いすぎている場合、棚に並べられている本の大部分が、自分の書棚にある、ということが往々にして起こったりする。例えば、六本木の最近は覗けなくなってしまった深夜営業の本屋さんなどは、美術、文学などの品揃えがよく、家になければこの棚全部欲しいと思ったりしたこともある。
また、ある通販専門の幻想関係の本屋さんの目録で、過去に自分の所蔵していた記憶のある本をリストから選んでみたら、その40%を持っていたことがあった。当然いい本屋さんではあるが、一度手放した本を買い戻そうという時に、ネックになるのは、そのお店の本に対する評価の高さである場合が多い。その本屋さんの価値判断が、自分に近すぎると、かえって買いづらくなる現象は、比較的ディープな本好きの方ならわかって頂けるだろう。
ピンポイントで欲しい本がある場合には、ネットオークションや、検索で探すこともできるが、持っていたことも、その本を知っていたこともない場合、やっぱり本屋さんで現物と出逢わなければならない。つまり、本屋さんと買う側に、微妙な距離が必要なのである。かといって、自分の好きな作家や気に入った本があまりにも低い評価だったりすると、喜ぶより怒っちゃたりすることってありませんか。
何で、こんなわかりきったことをダラダラ書くかというと、今現在、一箱古本市に出品する本に囲まれていて、やっと出品本の値付けが終わったからである。
買う専門というのは一般の読書人には当たり前のことだし、自分の趣味趣向の書に囲まれて、数千数万の蔵書を山積みにしながら、〈けものみち〉と称している、その状況を嘆くというのは、そりゃー、快感以外のなにものでもない。同じ本を装幀が変わったといっては買い、解説がついたといっては買い、そうやって、蔵書は幾何級数的に増殖してゆくのは当たり前だと思っている。
といっても、結局は溜まりすぎた蔵書の整理をしたり、ローンの支払いの不足を補うために処分を余儀なくされたりしたことはあるから、本を売らなかったわけではない。ただ、その場合は買いに来た本屋さんや、持ち込んだ店先で不機嫌そうなオヤジさんの、あからさまに「こんな本、少しばかり持ってきやがって」的オーラを感じながら、評価を待って、店主の一声が自分の評価と比べて高かったり、低かったりで、一喜一憂された経験は皆様お持ちかと。
前回は、偶々波長が微妙にあったお客様があったりして、比較的最初の出店より成績は上がったものの、じゃーあの水準をどうやって自分たちの乏しい蔵書から捻りだし、なおかつお客様に、納得しつつも喜んで頂ける品揃えと評価をつけられるか。できれば、今年も面白いですねといって頂きたい。できれば一箱といわず持っていった箱を空っぽにして、家でおいしいお酒で祝杯を挙げたい、そう、いい本屋さんの苦労がわかるあの日が近いのである。