その日でなかった

○○もかねやすまでは江戸のうち、だとか。元は川柳だそうだが、小さかった江戸の境界を逆手に取った名キャッチフレーズである。
その真下にある駅は、アカデミズムと縁のない素天堂にとっては、年一回のイヴェントで使うだけの駅である。そのイヴェントのために翌週と勤務シフトを代わってもらい、そのために用意したある動画を再生するのに必要な、DVDドライブを買いに、わざわざ一つ手前の駅で途中下車した。思ったような簡便な再生機能のみの機器がなくあれこれ迷っているうちに、時間は過ぎていった。
取りあえず、一番安い機種を選び店を出る。焦る身に大江戸線の駅は遠い。やっとの思いで一駅乗って、いつもの通り下車したが、だいぶ時間を使ってしまった。道々買ったばかりのパッケージを開き、DVD機器を出してみる。コンパクトでなかなかかわいいではないかなどと一人ほくそ笑んだりする。
準備万端のつもりで、途中のコンヴィニエンス・ストアに立ち寄り、飲み物のポケット瓶と小さな弁当を買い、いつものように赤門を通り過ぎた。前回までは早すぎる到着で、開いていない店も多かった沿道は夕方の混雑で、歩きづらかった。その代わり、閉店時間の早い本屋さんはほとんどが閉まっている。いっぽん手前の道を曲がり、名物の三角交差点へはいる。路地の向こうに目的の老舗旅館の看板が明るい。武田伍一設計の求道会館をすぎて、あの大きな下宿屋が現存するのを確認して、はじめての遅刻だと思い込んで飛び込んだ玄関は、打ち水の後も清々しい無人状態であった。
いつもならかならず顔を合わせる受付のNさんどころか、整然と並んだスリッパは、そこには誰も普段なら声も聞けない番頭さんに、何の用かと尋ねられた。
「あの〜〜、*****は〜」「あぁ、あれは二十三日」「……、え〜〜〜、十七日じゃないんですか」「今日は十六日だよ」そう、素天堂の思いこみで勝手に十六日に決め込んでいたのである。呆然とする暇もなく撤収して、泣く泣くK氏にメールを入れる。即座に入った電話からは、大きな大きな笑い声が聞こえる。使い道のなくなった飲み物とDVD機器を背負い袋に押し込み、曇天厚い夕空のもと、重い足取りをかねやすの下の駅に向けたのである。
余談であるが、帰ってK氏提案の飲み会も終わって、機器を接続してみた。さらにDVDを再生しようとしたら、全く機能しない。そう、特殊なソフトをインストールして、初めて動画が再生できるのだった。もし、会が始まり、偉そうにあの作品の解説などしつつ、機器を接続していたら、大恥をかいていたのである。十六日、よかったことと言えば、雨に降られなかったことと、会がその日でなかったことなのである。
仕方あるまい、今年はこの駅を二度使うことになって、しかも、あのイヴェントには大遅刻が決定なのである。