栗本薫さんで思い出したこと

もう三十年を越した大昔。1976年『LaLa』という少女雑誌が創刊した。当時はまだ、個人的には『りぼんDX』で、陸奥A子などを読み始めた時代で、手探りで『花とゆめ』本誌連載の山岸凉子『妖精王』や総集編が出た『メタモルフォシス伝』などを細々と読んでいた頃だ。だから実際にはその創刊号には発売当初お目にかかってはいなかった。ずっと後になって勤務先であった某印刷所で、廃棄本の中で遭遇したのだが。大島弓子の「7月7日に」や「綿の国星」、成田美名子のデビュー作「みきとユーティ」とか、雑誌で出会えた貴重な経験だった。
その雑誌で、不定期に掲載されていた木原としえ〈現 敏江〉の作品で『摩利と新吾』シリーズと出逢った。どのエピソードも珠玉であったが、山中で一人暮らす、自然児を主人公にしたエピソードがあった。記憶はあいまいなのだが多分「頭文字」だったと思う。勤務中の深夜、少年 二宮青太の死と、両手を開き太陽に向かって「ありがとうございましたっ」と叫ぶ彼の姿をみて一人で大泣きに泣いたのを覚えている。
その後で、「摩利と新吾シリーズ」で、愛読者イヴェントが企画されたとき、年も忘れて感想を送ったら、少女たちを差し置いて当選してしまった。今でも出版関係のイヴェントで名高い某ホテルだったが、模擬店も出て、結構大盛況であった。
行事の最後に紹介されたのがオブザーバーで出ていらっしゃった、栗本さんだった。多分「江戸川乱歩賞」受賞前だったのではないだろうか。受賞作『われらの時代』は、やっと探偵小説が陰惨な古くさいくびきを離れたと、快哉を叫んだものだった。その後のめざましい、自分の読みたいものを書くという姿勢を貫いた、軽やかといってもいい創作活動は、素天堂如きがあげつらうまでもないことだが、なぜか訃報を聞いて、こんな事を思い出した。