小人のつぎは巨人

他愛もない日記だが、書き散らしていくと、それなりに読者の方が覗きにきてくださる。なんと、『未来のイヴ』のキャラを名乗るアダリーさんまでが読者になられた。光栄である。そんなことがわかるのも、はてなの機能、〈リンクの解析〉である。先日書いた「六十の手遊び」で、著者のムヒカ・ライネスを引用したせいで、『ボマルツォ公の回想』がリンクしていた。そこで知ったのがなんと、あの「怪獣庭園」が、映画の舞台になっており、しかも主役がクリストファー・リーだという。大喜びで取り寄せた。『生ける屍の城』である。主人公の城主は〈マッド・サイエンティスト〉で、その城の庭が、ボマルツォ庭園なのである。
タイトルバックで繰り広げられる映像は、お馴染みの巨人たち。ワクワクしながら見ていると、お約束の愛を交わす恋人たちを、ブン殴る冒頭のシーン(これがどうなるかは、後でわかる)に続いて、この村を訪れた奇妙な旅の劇団の上演風景。メインの演し物が、絞首刑の死体が生き返るというあまり、品のよくない劇団なのである。
ところがその村の領主がいたくその演目がお気に入り、劇団員を城に招待するところからこの映画が始まる。
映画デビューだというドナルド・サザーランドの怪演と、団長役のフィリップ・ルロア(『愛の嵐』で主人公たちをつけねらう旧ナチの高官役が印象に残っている)の大時代な演技、実質的な主役で出ずっぱりの小人ニープというなかなか個性的な芝居である。物語が進んでいくうちに一人二人団員が姿を消してゆくのだが、勿論それにはクリストファー・リー演ずる「ドラゴ伯爵」が重要な役割を果たすのだ。

例えば、ニセの葬式はこの前で行われる。
まあ、思わせぶりを書いたとしても上記のサイトで充分詳細は語られているので、後は後半の追いかけっこについてお話ししよう。
城主にねらわれているのに気づいた何人かが逃げ回る舞台が、深夜のボマルツォ庭園、巨人像を上を下にの大賑わいである。地下道を逃げると出口はあの洞窟の口だったり、庭園を飾る装飾が如何に大きいか、いわば煙草の箱の替わりを登場人物が取っ替え引っ替え見せてくれるのだからたまらない。

主要な舞台の城自体も、もしかするとボマルツォの城かもしれない。そうなると、あのもう一人の〈不死の人〉ピエル・フランチェスコ・オルシーニの暮らした後を我々は目の当たりにしているのかもしれない。セットにしては地味な光景が帰ってリアルなのだ。
現在に至るも、辺鄙であることを止めないヴィテルボの村人は、多分、自分の住んでいる村にある物の価値は、きっとこの映画を撮った1964年頃には、きっと誰も気づきもしなかったろう。だからこそ、映画撮影は自由に行われ、私たちに貴重な映像を残してくれたのではないか。ありがたいことである。