凡愚と選良 長い夏休みを終えて

五年半を越える逼塞状況を堪えられず、足抜けをして得た、一ヶ月の長い休み。形容は悪いが瓢箪から駒で、お店の手伝いをすることになった。結果、約三週間を店主と相対することになった。
今までも少しずつ聞いたことがあったが、折角の機会でもあり、店主の危境にも拘わらず、店の手伝いの合間に、根ほり葉ほり昔話をせがんだ。いちいちのエピソードはともかく、彼我の格差を思い知らされた日々であった。ある種の編集者にとっては、自分の読みたい本を創るのは決まり仕事ではない。わが身を削って、自分と読者を繋ぐための、細い糸を紡いでいるのだ。本は読まれるために創られる。
六十年代末から、意識して自分が追いかけてきたあれこれの殆どに、彼をはじめとする先鋭的な編集者群が関わっていたのである。荻窪「人魚館」の塚本邦雄展に始まって、七十年代の翻訳ブーム。沢山のリトル・マガジン。自分で見つけたつもりの道だったが、我々読者にしめされた、彼らの心血を注いで創られた書籍というレールの上を数歩遅れて付いてきたに過ぎなかった。ただその遅れは、情報入手の手だてを持たない我々凡愚な読者にとって、彼らとの出会いはどれだけ幸福な時間だったかと思う。
半世紀に近い日々を振り返りつつ、お見えになった何人ものお客さんとの時間も含めて、タップリと話す時間を貰えたのは、長い夏休みを埋めるには余りある日々であり、お手伝いどころか、何をしたらもわからずに終わった最終日、閉店後に連れて行って貰ったゴールデン街は、ヴォランティアの筈の素天堂にとって、夜毎カウンターでのラム酒とともに何よりの報酬だった。ありがとう、一考さん。