時とところのアラベスク

切っ掛けは、東京メトロニュースの今月号の表紙だった。

いつものようにモデルさんが、お店でくつろぐ絵柄なのだが、彼女の背後に目がいった。正確には背後の書棚の二段目、奇妙な顔が見える。その顔に赤い文字でdadaの文字が見える。これが、京橋にあった近代美術館別館で行われた、日本最初のdada展の図録なのだ。

発作的に、お店に電話して、買えるものかを問い合わせた。お店の方も驚いたかもしれないが、その日のうちに連絡を頂いた。残念ながら譲ってはいただけなかったが、今日、中目黒のお店を覗いてきた。
目黒川沿いの並木に面したなかなか瀟洒なロケーションだったが、行った時間が早すぎて、開店準備の真っ最中。
いい機会なので、目黒区美術館を目指して方向転換。川沿いを南へ向かう。十五分ほどで到着すると、「線の迷宮〈ラビリンス〉・番外編 響きあい、連鎖するイメージの詩情―70年代の版画集を中心に」と題する所蔵展であった。版画の作品とテクニックを展示するユニークなもので、加納光於 『塩の道 あるいは舞踏衣装のためのCODEX』 1978年や、中西夏之 『ARC』 1978年が特に懐かしかった。
鑑賞を終わらせて、ミュージアムショップを覗くと、ブリューゲルを思わせる、繊細な画風のエッチング作品の絵葉書が目についた。久生十蘭ににインスパイアされた作品群は、もともと十枚セットで売られていたが、売れ行きのばらつきで八点だけが残っていた。清原啓子という作家は二十年程前に早世され、絵葉書は同美術館で行われた遺作展で作成されたものだそうだ。残されたすべてのはがきを買い揃え、まだ物欲しそうにしていたのを見透かされて、ロッカーから出して頂いたのは、当時創られたリーフレットだった。
大喜びで美術館を出、今度は日盛りの山手通を北にcombineへと向かう。今度は迷うことなく到着できた。店内のカウンターに向かった棚は、一目見て、わかるマニアックな品揃えの書棚が壁一杯に据えられていた。取りあえずランチを注文してまず、カレーで昼食。食後にコーヒーを飲みながら、まだ棚にあった図録を手にする。四十年以上前の編集とは思えぬ充実した内容を確認して、扉の開催表記だけを撮影させて貰った。

残念ながらメレット・オッペンハイムの作品はなく、素天堂の記憶違いを確認しただけだった。やっぱり、西武美術館が初御目見得だったのだな。お店を出て、もう一軒今日の予定だった、日月堂さんに電話を入れる。五年以上のご無沙汰だったが、どうやら覚えていてくださったのには、恐縮した。
山手通と駒沢通の交差点のバス停から、渋谷方面の東急バスに乗ったのだが、またもや、スケベ心が立ちあがってきた。明治通にある、並木橋からだったら、根津美術館に行かれるのではないか。数十年ぶりに並木橋の近辺に降りた。青山方面のつもりで歩き始めたが、どうも様子がおかしい。そのうちに、見覚えのある建物が見えてきた。青学である。結局斜めに歩いて、青山通にでてしまったのだ。やむを得ず、表参道の駅前からいつも通り、根津美術館前を目指す。なんとも無駄骨折りだった。
日月堂さんのハキハキしたした喋りが、疲れを忘れさせてくれて、いつもの通り、一時間。ありがたい眼福の数々に涙ものだったが、なんとか、探していた「タウト回顧展」図録を買えて、取りあえず客としてのメンツはたちました。
一旦帰宅して、その後も、本日は出かけることになっているので、ちょっと一服。
以下は私信ですが、ロシア語版『ディアギレフ』の画像です。ご確認下さい。