雑誌の魅力 新青年の残香(四)ハヤカワミステリマガジン 1967 5月号

小学校時代から読み始めていた『SFマガジン』や、他社の『ヒッチコック・マガジン』『宝石』に比べて、『EQMM』はコラムも大人向けで中学生にはハードルが高かった。もう一社からでていた『マンハント』は、中学生にありがちな、ちょっと違った興味で古本買いしていた。小学生時代から好きだったフレドリック・ブラウンは、当時創刊した創元推理文庫のSFジャンルの目玉だったが、星新一経由で『異色作家短編集』を読んでから、少しづつ素天堂はハヤカワ党に傾斜していくことになった。
シャレード』に始まった、自分の洋画趣味は次に見た『007危機一発』でさらに深まり、世間では映画が引き金になって、未曾有の007ブームが巻き起った。勿論素天堂もその尻馬に乗っていたから、『EQMM』で、増刊号が出るに及んで高校生ながら、ミステリマガジンに注目することになった。最初は、それまでに知っていた『異色作家』収録の作家をバックナンバーから探す程度だったが、すこしづつ、他の作家にも目を向けるようになっていった。
この間、数年ぶりに再入手した『HMM』1967年は、前年に『EQ本国版』との専属契約を縮小して、独自編集で毎号特集を組むようになった最初の年だった。3月号での〈ショート・ショート特集〉はともかく、6月号での〈奇妙な子供たち特集〉は、独自な視点で新鮮な驚きだった。8月号で組まれた恐怖・怪奇特集は『SFマガジン』1961年9月臨時増刊号での名編集を引き継いだ好企画で、現在も連綿と続いている。以後68年、69年と〈ブラック・ユーモア〉ブームの大きな波が押し寄せるのだが、それは別の話。近刊予告にカート・ヴォネガットJr.『猫のゆりかご』が、訳者も決まらずリストにだけ載せられているのが、経緯は別にして、なんだか微笑ましい。最初の小波ハリー・クレッシング『料理人』が発売されたのが、この秋だったのだ。『HMM』5月号で星新一による海外一齣漫画エッセイ『進化した猿たち』がひとまず終わり、同じページにテリー・サザーンの『怪船マジック・クリスチャン号』が翌6月から連載されたのも、深読みかもしれないが、時代センスの交代期だったのかもしれない。
素天堂が高校の図書館で、東都書房版の『日本推理小説体系5 小栗虫太郎/木々高太郎集』を見つけたこの頃、『HMM』5月号で〈懐かしの『新青年』特集〉が組まれたのである。カタカナ名前の羅列だった目次に漢字が並ぶ様がちょっと嬉しかったし、濃い青地に扇を西洋兜の羽根飾りに見立てた表紙のイラストレーションは、真鍋博が写真に加筆する趣向のシリーズでも、最高の出来の一冊だったと思う。
『HMM』では、毎号編集者の巻頭言が掲載されていて、(S)名義の当時の編集長常磐新平によると、全誌を特集で埋めたかったということだが、虫太郎の「聖アレキセイ寺院の惨劇」を松野一夫のイラストで復元し、乾信一郎の回顧談を直接聞けただけでも、今となっては貴重だったと思う。思えば、基本、翻訳ミステリの叢書であるHPBに僅かに収録された三人の日本人作家が小栗、夢野、浜野だったのだからこれは行われなければならない、落とし前の付け方だったのかもしれない。
残香 一〉で取り上げた『洋酒天国 51』での『新青年』特集は61年6月の発行だったが、実際に入手できたのはほとんど同じ頃だったのだから、偶然とはこんなものなのだろう。なんとも、幸運な出会いだった。以来四十年たつけれど、何だ、当時の『HMM』と『新青年』収録作品の時間差より、僅かではあるが離れてしまっているではないか。この数年、やっと始めた『黒死館逍遙』の作業も、始まりはこの雑誌からだった。やっと手に入ったこのバックナンバーのおかげで、残香シリーズ、ひとまずの決着である。